道中のBGMは「ヘビーローテーション」。そう、あのAKB48の代表曲。第二の故郷でそんな歌が口ずさめるようになったことも嬉しい。3年前にはあまりの惨状に「声も出なかったので」。当時は一面ドロに埋もれたがれきの山にも今や次第に新しい草木が芽吹き、6月7日のこのあたりの時期が、もっとも美しいと言われるここ杜の都は本当に、ほんの少しずつでも元の姿を取り戻そうとしている。
それにこんな車に乗れば、誰だって歌いたくもなる。白の車体に可愛いピンクでペイントされた文字は「AKBUS」。つまりAKBとBUSの「B」とがかけてある。その名のとおりにみんな大好き「AKB」が、ここ宮城県亘理郡の山元町に寄贈したバンに乗って登場した今回のゴルフ伝導師は宮里優作。「申し訳ない」と謝った。「僕が贈った車でもないのに」と恐縮した。「まだ1勝もしていない僕なんかが」と言いつつ乗り込んだ。そこから数十分ほどで到着したのが山下第一小学校だ。
町内では674人もが津波にのまれたが、通称「山一小」では1人の犠牲も出なかった。あれから2年が過ぎて、皆すっかり元気一杯に見える。午前中のスナッグゴルフ講習会では、最後のプロとの対戦コーナーでは大勢の希望者が手を挙げたし、ジャンケンでその権利を得た6年生の宮園颯人くんも、3年生の大石怜音くんも、屈託もなくランチャーを振り回して特に大石くんは、こう見えて幼少期は自他共に認めるやんちゃ坊主の宮里も、思わず腹を抱えて笑い転げるほどの剽軽者。無邪気そのものにも見えたのだが「大石くんは、実はもうすぐ仮設住宅を出て、この1学期が終われば転校してしまいます」。作間勝司・校長先生が、あとでそう教えてくださった。「クラスのムードメーカーだと思った」しかし一方で「どこか寂しそうだ」と宮里が感じたのも気のせいではなかった。皆とのお別れの日が近づいていた。
学校では確かに犠牲は出なかった。しかし、震災当時はまだ幼稚園に通っていた1年から3年生の中には、目の前でお友達が流されていくのを見た子もいる。普段は明るく振る舞っている子も防災訓練の時などに突然言い出す。「先生、僕も死んじゃうの?!」先月には運動会の日に、M6の大きな地震があり、大声で泣き出した子もいる。「震災の直前に雷が鳴ったと証言する子が何人かいます」。その子らは今も雷雲が近づくと「逃げなくちゃ」と慌て出す。
仙台は東北福祉大を卒業したあとも、妹の藍さんと3年あまりを過ごした。第二の故郷が気がかりで、震災直後にすぐに宮里も仙台に入った。愛妻と8ヶ月の我が子を津波に奪われた同級生がいる。「でも彼が現実を受け入れられるようになったのは、ようやく最近」。胸に刻み込まれた底なしの悲しみは、何年経っても消えるはずがない。
それが分かっているからこそ今も親友が心配で、たまに仙台に帰ってきても、ただ黙って心に寄り添うしか出来ないけれど、この日出会った子どもたちもそうだがただ一緒に笑ったり、汗を流したりするうちに、手探りの中にもほのかな希望が芽生えてくることもある。
「どんなときも大人が前向きに、楽しそうに笑っていれば、きっと子どもたちも元気でいられる」。今回のスナッグゴルフ講習会をきっかけに、先生たちの間には「こんな良い教材を生かさなければもったいない」と、7月には町内の教職員の皆さんを集めて、指導者のための講習会を開く予定があると聞いて「それは本当に、凄く良いことですよね」と宮里も満足そうにうなずく。
今回のゴルフ伝導の旅ではその前に、山元町役場にも立ち寄った。宮里から愛用のキャップにサインをもらう齋藤俊夫・町長の様子にひそかに驚いていた役場の皆さん。「町長が笑ってる・・・!!」。自宅も愛用のゴルフクラブも、愛犬までもが流され、しばらくは思い出すたび泣いてばかりおられた。そして今は、急ピッチで進む復興事業に身も心も追われて毎日、難しい顔ばかりだ。
その町長が「今日は宮里プロとお出会いして、久しぶりに心から笑わせていただきました」。ゴルフが大好きという町長は、グロスで70を切るほどの腕前も今はラウンドを楽しむ時間もなく、もっぱら週末のゴルフ中継を見ることが唯一の楽しみ。特に今やツアーを席巻する地元の東北福祉大勢の活躍が、何よりの喜びでつい先日も、まだ在学中の松山英樹の快進撃にも手を叩いて喜んだばかりだが「実は僕は、宮里プロの初優勝を、いちばん首を長くして待っています!」。
「はい、僕も勝てるように頑張ります」と、即答していた。震災直後から、バーディ基金を立ち上げ、獲った分だけのお金を毎年、地元に贈ってきた。「今年の寄贈先は、山元町にしようか」と、今回の出会いをきっかけに、ひそかに頭を巡らしながらも、同時に週末のテレビで自分の活躍を見せることこそが、人々の笑顔の元となることを、改めて知らされた。
また今や東北地方では、ひとつもなくなってしまった男子のゴルフトーナメントの復活も最優先事項として、宮里の心に改めて刻まれた。「もう一度ここ仙台で、トーナメントを開催出来れば」。町長に見送られて、恐縮しきりで乗り込んだ“AKB号”。「今度は優作プロの“優勝副賞”を、ぜひ我が町に贈ってください!」。冗談めかして言った町長にも「必ずそうしたいと思います」と大まじめで答えた。次の訪問では堂々と“YOU39(※)号”で第二の故郷に凱旋するつもりだ。
※「YOU39」とは・・・「優作」と「あなたにサンキュー」という気持ちを込めて作り出された宮里優作のサイン。実際にファンに頼まれ色紙などに書くときには速記するため解読はほぼ不可能。学生時代はテスト問題を早々に解いてしまい、未来のプロゴルファー像を描きながら答案用紙の裏にサインの練習を書いては消したという思い出もある。