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I・J・ジャンが福島で外国人選手として史上初のゴルフ伝道師に(4月23日)
前日22日のヒロシに続いて、23日は42歳のベテラン。2008年から始まった“ゴルフ伝道”史上初となる外国人選手は、I・J・ジャン。東京から東北新幹線「やまびこ」に揺られて約1時間半。老舗デパートの紙袋ひとつという軽装で、ぶらりと福島県の新白河駅に降り立ったジャンは、そこからさらに約1時間の車中で、「やっぱりちょっと、緊張してきました」。
今からジャンが、子どもたちにゴルフの楽しさ、面白さを伝えにいこうとする岩瀬郡天栄村の村立湯本小学校には7月に、グランディ那須白河ゴルフクラブで行われる「ダンロップ・スリクソン福島オープン」の中継局の福島中央テレビが、今回の伝道師ぶりを取材に来られるという。
同大会は、今年の2回大会から、母国韓国のテレビ局「SBS」でも放映されることになり、この“ゴルフ伝導の旅”の模様も試合の合間に流れることになったという。下手は出来ない。気軽な気持ちで来たことをちょっぴり後悔した。「頑張らなくちゃ」と、気を引き締めて子どもたちの前に立った。
初対面の挨拶の第一声で起きた子どもたちのどよめき。「日本語、上手〜!」。韓国のトッププロが来てくれると聞いて、心配していた子どもたち。「言葉が通じないのに、大丈夫なの?!」。不安は良い意味で、裏切られた。流ちょうな日本語。2004年に母国韓国ツアーの賞金王に輝いたのを機に、翌年から本格参戦。「日本はもう11年目になりますが、スナッグゴルフは初めてです」。本人にはコミュニケーションの心配よりもむしろそっちで、それでも自らも10歳の子を持つ父親は、最初のデモショットでさっそくコツをつかんで、すぐに子供たちに溶け込んだ。
自分の手を添えてやりながら、最初に素振りをたくさんさせることで、まずはクラブを振り切る感覚を身につける指導を受けて、みるみる上達していく子どもたち。地元の名峰・二岐山(ふたまたやま)を見上げる深い山あいの小学校は、全校児童18人という少人数制をむしろ利点に、昨年から4年生以下はスナッグゴルフ。5、6年生は本ゴルフを授業に取り入れ、教育とスポーツの両立に力を注ぎこむという恵まれた環境の中でのびのびと育つ子どもたちも、「今まで、よく分からないことがたくさんあったので。ジャンさんが優しく教えてくれて本当に良かった」と口々に大喜びで、無垢な瞳を輝かす。
児童数の多い学校なら、なかなか番も回ってこないが、今回ばかりは練習時間もたっぷり取れて、早々と“戦闘モード”に入ってゲームに没頭する子どもたち。特に小6と小5の星 瞳月(しずく)さん・海輝(みずき)くん兄姉率いるチームと、小4のチームがお試しのパター合戦から、さっそく火花を散らすなど、講習会は大いに盛りあがった。
特に弟の海輝くんは足も速いし、冒頭のスナッグゴルフのコーチングセットの寄贈式でも児童を代表しておニューのクラブを受け取るなど活発で、弁も立つ。高得点を取って、プロとハイタッチがしたくてたまらないのに、いたずら好きのジャンに何遍もはぐらかされて、「ミズキ、ミズキ」といじられて、悔し紛れの地団駄もまた、ジャンのツボに完璧にハマッた。みんなで食べた給食も、もうお腹いっぱいなのに“ミズキ”に無理にカレーのおかわりをよそわれて、有無を言わさぬ強引さもまた、ジャンには愛おしく思えて深まる絆。
午後からの講演会で「いま好きな人はいますか?」と、海輝くんに唐突に聞かれても「あなただよ!」と、即答するほどお気に入りの生徒の一人はレッスン会のガチンコ対決でも飛び跳ねて悔しがったり、その場にひっくり返って喜んだり寝そべったり。身体を張ったやんちゃぶりも、いざプロへの感謝の言葉には、心からの思いがこもっていて「こんなに山奥まで来てくださってありがとうございます。また来てください。僕と勝負しましょう」と、しっかりとした海輝くんの挨拶もまた、ジャンの心をくすぐった。
そしてますます深まっていくプロゴルファーへの憧憬と尊敬の念。小4の小山雄聖(ゆうせい)くんは、ほんの2週前に鬼ごっこで足をひねって松葉杖生活。スナッグゴルフの講習会も、椅子に座って指をくわえて見学するしかなかったけれど、「見ているだけでプロの凄さが伝わってきた」と、約2時間の講習会も、あっという間に過ぎていった。小山くんのようにたとえ直接指導を受けられなくとも、子どもたちには本当に得るものが多かった。
午後から「夢を持とう」の講演会も、やっぱり流ちょうな日本語で、常勝期のアマチュア時代の思い出やら、韓国の青年男子には必須の兵役のことやら何やら。また、ジャンお気に入りの日本の駄菓子の「ポッキー」は、韓国語では「ポポロ」というなど、英語教育にも力を注がれ国際化を目指す同校の子どもたちにとっては、日韓の文化の違いも興味深い教科書となったようだ。
自分をけなげに見上げる36の輝く瞳。豊かな自然の中でたくましく生きる子どもたちの純粋な心に胸を打たれたジャンは、帰路につくころにはもはや、子どもたちと離れがたくなっていた。「今日はみんなに一杯、元気をもらって本当に楽しかったから。またいつか、きっとみんなに会いに来ます」と約束して、しばし別れの時も後ろ髪引かれる思い。
昨年は諸事情があって、エントリーを見合わせた「ダンロップ・スリクソン福島オープン」も今年はまた期間中に、この湯本小の子どもたちが会場に遊びに来る予定と聞くなり、今からさっそく遠征スケジュールにも組み込んだ。
「今年は絶対に大会に出場します。またみんなに会いに来ます」。そのとき子どもたちに、手土産の吉報を伝えるためにも、再会までの約3ヶ月の間の活躍にも、またいっそう気合いが入るというものだ。
今からジャンが、子どもたちにゴルフの楽しさ、面白さを伝えにいこうとする岩瀬郡天栄村の村立湯本小学校には7月に、グランディ那須白河ゴルフクラブで行われる「ダンロップ・スリクソン福島オープン」の中継局の福島中央テレビが、今回の伝道師ぶりを取材に来られるという。
同大会は、今年の2回大会から、母国韓国のテレビ局「SBS」でも放映されることになり、この“ゴルフ伝導の旅”の模様も試合の合間に流れることになったという。下手は出来ない。気軽な気持ちで来たことをちょっぴり後悔した。「頑張らなくちゃ」と、気を引き締めて子どもたちの前に立った。
初対面の挨拶の第一声で起きた子どもたちのどよめき。「日本語、上手〜!」。韓国のトッププロが来てくれると聞いて、心配していた子どもたち。「言葉が通じないのに、大丈夫なの?!」。不安は良い意味で、裏切られた。流ちょうな日本語。2004年に母国韓国ツアーの賞金王に輝いたのを機に、翌年から本格参戦。「日本はもう11年目になりますが、スナッグゴルフは初めてです」。本人にはコミュニケーションの心配よりもむしろそっちで、それでも自らも10歳の子を持つ父親は、最初のデモショットでさっそくコツをつかんで、すぐに子供たちに溶け込んだ。
自分の手を添えてやりながら、最初に素振りをたくさんさせることで、まずはクラブを振り切る感覚を身につける指導を受けて、みるみる上達していく子どもたち。地元の名峰・二岐山(ふたまたやま)を見上げる深い山あいの小学校は、全校児童18人という少人数制をむしろ利点に、昨年から4年生以下はスナッグゴルフ。5、6年生は本ゴルフを授業に取り入れ、教育とスポーツの両立に力を注ぎこむという恵まれた環境の中でのびのびと育つ子どもたちも、「今まで、よく分からないことがたくさんあったので。ジャンさんが優しく教えてくれて本当に良かった」と口々に大喜びで、無垢な瞳を輝かす。
児童数の多い学校なら、なかなか番も回ってこないが、今回ばかりは練習時間もたっぷり取れて、早々と“戦闘モード”に入ってゲームに没頭する子どもたち。特に小6と小5の星 瞳月(しずく)さん・海輝(みずき)くん兄姉率いるチームと、小4のチームがお試しのパター合戦から、さっそく火花を散らすなど、講習会は大いに盛りあがった。
特に弟の海輝くんは足も速いし、冒頭のスナッグゴルフのコーチングセットの寄贈式でも児童を代表しておニューのクラブを受け取るなど活発で、弁も立つ。高得点を取って、プロとハイタッチがしたくてたまらないのに、いたずら好きのジャンに何遍もはぐらかされて、「ミズキ、ミズキ」といじられて、悔し紛れの地団駄もまた、ジャンのツボに完璧にハマッた。みんなで食べた給食も、もうお腹いっぱいなのに“ミズキ”に無理にカレーのおかわりをよそわれて、有無を言わさぬ強引さもまた、ジャンには愛おしく思えて深まる絆。
午後からの講演会で「いま好きな人はいますか?」と、海輝くんに唐突に聞かれても「あなただよ!」と、即答するほどお気に入りの生徒の一人はレッスン会のガチンコ対決でも飛び跳ねて悔しがったり、その場にひっくり返って喜んだり寝そべったり。身体を張ったやんちゃぶりも、いざプロへの感謝の言葉には、心からの思いがこもっていて「こんなに山奥まで来てくださってありがとうございます。また来てください。僕と勝負しましょう」と、しっかりとした海輝くんの挨拶もまた、ジャンの心をくすぐった。
そしてますます深まっていくプロゴルファーへの憧憬と尊敬の念。小4の小山雄聖(ゆうせい)くんは、ほんの2週前に鬼ごっこで足をひねって松葉杖生活。スナッグゴルフの講習会も、椅子に座って指をくわえて見学するしかなかったけれど、「見ているだけでプロの凄さが伝わってきた」と、約2時間の講習会も、あっという間に過ぎていった。小山くんのようにたとえ直接指導を受けられなくとも、子どもたちには本当に得るものが多かった。
午後から「夢を持とう」の講演会も、やっぱり流ちょうな日本語で、常勝期のアマチュア時代の思い出やら、韓国の青年男子には必須の兵役のことやら何やら。また、ジャンお気に入りの日本の駄菓子の「ポッキー」は、韓国語では「ポポロ」というなど、英語教育にも力を注がれ国際化を目指す同校の子どもたちにとっては、日韓の文化の違いも興味深い教科書となったようだ。
自分をけなげに見上げる36の輝く瞳。豊かな自然の中でたくましく生きる子どもたちの純粋な心に胸を打たれたジャンは、帰路につくころにはもはや、子どもたちと離れがたくなっていた。「今日はみんなに一杯、元気をもらって本当に楽しかったから。またいつか、きっとみんなに会いに来ます」と約束して、しばし別れの時も後ろ髪引かれる思い。
昨年は諸事情があって、エントリーを見合わせた「ダンロップ・スリクソン福島オープン」も今年はまた期間中に、この湯本小の子どもたちが会場に遊びに来る予定と聞くなり、今からさっそく遠征スケジュールにも組み込んだ。
「今年は絶対に大会に出場します。またみんなに会いに来ます」。そのとき子どもたちに、手土産の吉報を伝えるためにも、再会までの約3ヶ月の間の活躍にも、またいっそう気合いが入るというものだ。