8日は福岡・芥屋(けや)からまだ極寒の北海道へ。オフ合宿をいったん切り上げ、池田勇太が被災地に入った。「3人集まったら意外と俺が一番静かなんだよ」。昨日まで2週間のキャンプも一緒だった。東北福祉大では2つ上だけど、池田を“師匠”と慕う正岡竜二と、同級生の塚田陽亮は幼少期からの腐れ縁。愉快な仲間を一緒に連れてきてよかった。
この日、3人で訪れた厚真町(あつまちょう)は昨年9月の大地震で最大震度7を観測した激震地である。
役場に着く前に、ちょっと遠回りして3人で被害の状況を見て回った。
町の奥へ奥へと進むたびに、車窓に張り付く3人のうめき声は次第に大きくなり、ついに言葉を失った。
池田は昨年の震災直後も被災地に入ったが、ここ厚真町には来られていない。
目の当たりにした甚大な被害に思わずため息が出た。
「ひどいな…」。
崩落した山肌が、土砂崩れとともにふもとの家屋をのみこみなぎ倒した痕跡は、分厚い残雪の中でまだ復旧されずに残されたまま。
宮坂尚市朗町長によると、やっと工事車両が通れるまでに、道路が整備されたところという。
町内では1600もの家屋が被害を受け、いまだ自宅に帰れない人々は、500人を超えるという。
役場近くまで戻ってきたら、ランドセルを背負った子たちが、仮設住宅の方向に帰っていった。
「あそこから通ってるんかな…」。
けなげな姿に胸が締め付けられる思いがした。町内では36人の尊い命が奪われた。
「悲しみに立ち止まらず、立ち上がらなければならないとは思う」と、宮坂町長。
「しかし遺族の方々は、まわりでいうほどには簡単に、気持ちを切り替えることなどできるわけがない」。
被災者の気持ちに寄り添いながらも、復興を目指していく難しさ。
特に子どもたちの心のケアは急務である。
「僕らにできることは微力だけれど、せめてつらい気持ちを一瞬でも忘れる時間を作ってあげることができたなら」。
このたび池田が厚真町へのスナッグゴルフのスクールセットの寄贈を決めたのも、そんな思いがあったからこそ。
昨年は、震災直後のANAオープンが中止となり、同大会とタイアップのジュニアイベントも軒並み中止となった。
この日の翌9日には、その埋め合わせも兼ねたスナッグゴルフの実技講習会を、大会の地元・北広島市で開くことになり、そちらに厚真町の子たちも招待していたのだが、先月の余震で参加者が軒並みキャンセル。
厚真町の子がほとんど講習会に来られないと知って、池田は慌てた。
「それじゃ、俺たちがここに来た意味がなくなっちゃう」。
役場訪問のあとに、この日のうちに、きゅうきょ厚真町の「放課後児童クラブ」でミニ講習会の実施を決めたのだった。
池田が思っていたとおりに、子どもたちを相手に道化に徹した正岡と塚田が大いに盛り上げてくれて、約1時間のリクリエーションは抱腹絶倒のうちに終わった。
「つらい思い出を、忘れることなど無理かもしれない。それでも、今日みたいに友達と笑って、はしゃいで。きっとそうやってひとつずつ、楽しい記憶を積みかさねていくしかないんだな」。
東北もそうだが日がたつにつれて、どうしても生じてしまう被災地との温度差をなんとか埋め合わせてつなげる手助けが、良き仲間と少しでもできたなら。
池田は翌9日もまた正岡と、塚田と愉快な仲間と力を合わせて子どもたちとの思い出作りに励む。