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三井住友VISA太平洋マスターズ 2007
35回の記念大会を制したのは豪州のブレンダン・ジョーンズ
首位タイで迎えた最終18番。左サイドのファーストカットからの第3打はパターで打った。
その瞬間の記憶はほとんどない。それくらい、エキサイトしていた。
「寄せよう、とは思ったけれど、まさかあれが入るとは・・・。まるで、タイガー・ウッズみたいじゃない?!」。
本人も目を剥いた大きなマウンド越えのチップインイーグルは、距離にして15メートル以上はあっただろうか。
カップがボールを飲み込んだ瞬間に歓喜のあまり、大きくのけぞらせた背中は今にも地面につかんばかり。
ジョーンズが、吼えに吼えた。そこらじゅうを飛び跳ねる。
両手で何度も握り締めたガッツポーズ。
そして興奮冷めやらぬ空気の中で、谷口もグリーン右ラフからのイーグルにトライ。
2001年、やはりここ御殿場で行われたワールドカップでウッズが奇跡のイーグルを決めて、4カ国のプレーオフに持ち込んだあの伝説のシーンと似たような位置からのアプローチはしかし、ギャラリーの悲鳴に似た歓声もむなしく、わずかにカップをそれた。
現在の賞金ランク1位を下したばかりか、3位には世界ランク6位のアダム・スコット、4位タイには昨年の全米オープンチャンピオン。
特にジェフ・オギルビーは、豪州のアマチュア時代にしのぎを削ったライバルだった。
「でも、いつも彼が1番で、僕が2番」。
昔年の鬱憤を晴らし、同郷のスタープレーヤー2人を従えていま堂々と頂点に立った。
今週は、そのオギルビーがかっこうの手本となった。
練習日に専属キャディのトム・ワトソンさんに指摘されたのだ。
「最近のスイングは、腕に力が入って窮屈だ。以前は君も、ジェフのようにリラックスして構えていたのに」。
そう言われて視線を向けたオギルビーのアドレスは、両腕が美しいV字型を描いていた。
それにひきかえ自分はときたら、両腕の間にほとんど隙間がない。
「ジェフのように構えてみよう」。
そう意識してスイングするようにしたら以前よりもスムーズに振れ、豪快なショットに安定性が加わったという。
単独首位でスタートした最終日はバック9で谷口と抜きつ抜かれつのデッドヒート。
16番でいよいよ1打ビハインドを食らったが、ツアーきっての飛ばし屋は慌てなかった。
「僕には、飛距離のアドバンテージがあるから」。
まだチャンスホールを残している。
17番パー3は5番アイアンで「今週、最高のショットが打てた」。1.5メートルにつけて再び谷口を捉えると、最後のパー5でまさに「奇跡」を呼びこんだ。
しかし世界ランカーのスコットやオギルビーを退けたからといって「自分もメジャーで勝てるなんて思っていない」と、ジョーンズは言う。
2005年の米ツアー参戦で悟った。
「そのためには、僕はまだまだ練習不足だ」と。
かといって、しゃかりきにゴルフ一辺倒の生活を送ることが望みでもない。
「ゴルフと同じくらい、家族との時間を大切にしたい」と考えるジョーンズは、7月に生まれたばかりの長男・キリン君の子育てで、時に寝不足に陥るほどのマイホームパパでもある。
「日本からオーストリアへ帰るのも8時間ほど。妻のアデルも喜ぶからね」。
家族のためにも当分は、移動の便利な日本ツアーに腰を落ち着けると決めている。