記事
アサヒ緑健よみうり・麻生飯塚メモリアルオープン 2006
市原建彦、兄弟でつかんだ初優勝
専属キャディで、ふたつ下の弟・大輔さん。
あえて、言葉を交わさなくても互いの気持ちは分かっている。
そして、それほどの絆があるからこそ、かえって面と向かうと照れくさい。
「・・・兄弟って、そういうところあるじゃないですか?」と、柔らかく笑った大輔さんが交通事故に遭ったのは3年前。
3日間、意識不明の重態だった。
目が覚めたときは病院のベッドにいた。
額を26針縫った。失いかけた右腕の手術は困難を極めた、と後から聞いた。
9ヶ月間の入院後も右手の感覚はなく、握力は3キロまで落ちた。
目指していたプロの道は閉ざされ、引きこもりがちになっていた大輔さんに、兄が声をかけたのは昨年秋。
「もういちど、俺のバッグを担いでみないか?」。
アマ時代からたびたびタッグを組んで、優勝にも貢献してきたエースキャディの“復活”だった。
「・・・アニキはもともと、ものすごく優しい性格。他人には、なかなか思ったことも言えないけれど。弟の僕には、何でも遠慮なしに言えるから」。
3番ホールでOBを打ったのは大会初日。
大輔さんの計算ミスで、ティショットを木に当てた。
そのときも、兄の怒りは容赦なかった。
「何やってんだ、しっかりしろよ!!」。
そんな厳しい言葉も、「アニキの愛情の裏返し」。
ちゃんと分かっているから、いつも大きな心で受け止めかたわらを歩く。
遠征先のホテルの部屋も、いつも同じ。
「ツインを取って、一緒に寝る」。
今年は共に、メジャー舞台も経験した。
力を合わせて初シード入りを実現させ、ついにはツアー初優勝さえもぎ取った。
逆境のときも、そして至福の瞬間も、兄弟はいつも一緒だった。
「・・・俺たちにとって、今年は最高の1年になったよね!」。
そう無邪気に笑う弟の右手を、兄はそっぽを向いたままそっと握り返した。