記事
梶川剛奨がサンドセーブ率賞受賞
しかし、本人は断固として首を振る。「僕よりもバンカーショットが上手い選手は他にもたくさんいらっしゃる」。
それよりも自負するのは、バンカーから乗せたあとの始末だ。「今年はショートパットをしっかりと決められたから、この賞がいただけた」。
そしてこれこそが今年プロ15年目、38歳にして賞金ランキングは48位に潜り込み、念願の初シード入りを決めた要因でもあった。
プロコーチの中島敏雅さんとかねてより、課題としてあげてきたのが「グリーン上での、思い切りの悪さ」。
いつも、返しの短いパットが打ちきれない。
「怖がって、距離感を合わせに行って、手前で切れちゃうとかが多かった。ひいては、そんな気持ちの弱さが、ショットなどすべての面で、ミスを引き起こしている」。
それこそが最大の弱点とにらんだ2人は、ファイナルQTランク54位の資格で参戦した今年は開幕前に、「とにかく強めに打って行こう」と、約束した。
それが原因で、逆に3パットも増えるかもしれない。「でも、それを怖れているとこれ以上は上に行けない」。
今の自分を変えたいという一心で、ひたすら積み重ねてきた努力には、ちゃんとご褒美がついてきた。
初シードを決めた年に部門別ランキングでの初受賞には、記念のトロフィと副賞として、株式会社ホテルオークラ東京さまより『ホテルオークラ東京 朝食付きペア宿泊券』を受け取って、「年間で1位になることはどんなことでも嬉しいこと」と、笑顔もほころぶ。
99%の進学率を誇り、東大合格者も出るという千葉県の進学校、東葛飾高校出身。
高校受験はそれなりに苦労したが本人は、はなから大学に進むつもりはなかった。
「自分は普通の職業では向かない。腕1本で行きたい」と、周囲の反対を押し切ってプロゴルファーを目指したが、道のりは険しかった。
24歳の1995年にプロ転向を果たしたものの、一銭も稼げない年が続いた。まして2007年には頸椎ヘルニアを患い、約半年間もクラブが握れなかった。
つらい時期を支えてくれた静さんと、今年2月に結婚。
また今年は100年に一度の大不況といわれながらそのユニークな人柄が愛されて、シーズン途中に新たに6社目のスポンサーがつくなど恩人たちの献身サポートを、そっくり力に変えた1年だった。
7月のセガサミーカップで自身初の最終日最終組を経験して7位につけると、さらに10月。
コカ・コーラ東海クラシックでは、あの遼・勇対決に割って入った。
2度目の最終日最終組は、石川遼と池田勇太とともに白熱の優勝争いを繰り広げて自己ベストの単独2位に。
本名は一文字で「武」。まだ出場権もない時代に登録名をまず「武志」に変え、さらに2006年から今の名前で戦って今年4年目。
「剛奨」と書いて、「たけし」と読む名前がいま、ようやく日の目を見た。
「でも、今年はあの2位だけでしたからね」と、本人は苦笑いで満足はしていない。「やればやるほど課題が出てきて。このオフは忙しくなりそうです」。
さらなる精進で、来季こそ目標のツアー初優勝で恩人たちに報いたい。