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薗田峻輔が「人生計画表」のススメ

久しぶりの給食を楽しみにしていた薗田。「小学生のころ、牛乳の早飲み競争とかしたなあ」と懐かしがる暇もなく、このあとあっという間にサイン責めに。
スナッグゴルフの実技講習会が終わっても、子供たちの勢いはとどまるところを知らない。久しぶりの給食をゆっくり味わう間もなく、「ごちそうさま」もそこそこに、あっという間に取り囲まれた。プロのサインを求める子供たちの長い列。

大阪府の箕面市立東小学校の全校児童632人は、休み時間をギリギリまで使ってもまだ足りない。次の5時間目の“授業”は「夢を持とう」の講演会。ただでさえ、サイン会で押した時間はさらに冒頭に、薗田がデビューからわずか5試合目にツアー初Vをあげた昨年のミズノオープンよみうりクラシックのVTRの鑑賞会で、削られた。

涙の優勝シーンに子供たちからやんやの声援を浴びたのは嬉しいが、薗田は時計が気になって仕方ない。45分の授業時間は、薗田が自身の人生年表を書こうと、黒板に向かってチョークを握ったころにはすでに三分の一が過ぎていた。

「やばい、もう30分しかないじゃん!!」と、“史上”最年少の伝道師が焦ったのは、まだ21年間とはいえこれまでの人生が、たった30分では語りきれないほど濃密なものだったから。
「絶対に足りない!!」。宮﨑・校長先生に「延長しても良いですよ」と事前に許可を頂いたとはいえ自分にも覚えがある。授業が少しでも長引けば、「早く終わらないかな」と内心うんざりした記憶だ。

子供たちの身になれば、なおさら気は急くのだが、どうあがいてもやっぱり足りない。
サッカーとゴルフと、どちらを選ぶか大いに悩んだ小学時代。門限5時など父の厳しい躾に反発して日本を飛び出した中学時代。

豪州への語学留学。3年で帰国したが、その後もたびたび個人で海外のジュニア大会にエントリーしたのは、せっかく学んだ英語を錆び付かせないためだった。

ちなみにこれはまったくの余談だが、留学時代のガールフレンドは「ジェシカ」。子供たちにせがまれて、つい金髪の元カノまで白状してしまうなど、そんな楽しい“脱線”もあったおかげで、刻々と制限時間は近づいていた。

そんな貴重な時間を割いてでも、やっぱり薗田がどうしても伝えておきたかったのは、あの石川遼の存在と、その呪縛から逃れた経験だった。
初めての出逢いは薗田が小5、石川が小3。以来ずっと競いあってきた2つ下の後輩が、史上最年少の15歳でプロの試合で優勝したのは2007年だった。

中3の全国大会で、夏・春連覇を達成し、高3で日本代表選抜に。プロのトーナメントにも初出場を果たし、明治大学への進学も決まった。順風満帆の薗田のゴルフ人生も、その日をさかいにふいに色を失った。

一躍、時の人となった後輩は、大旋風を巻き起こして「王子」と呼ばれ、テレビでその名を聞かない日はなくなった。
「新聞も、携帯のニュースも。毎日毎日“石川遼”」。1日何度も名前を聞かされ、「みんな、ひつこいんだよ」と、つい心中で毒づいたことも。
ある日、父親まで「遼くんは」と言い出して、のんびり屋の息子もついにキレた。誰もが後輩の活躍と、自分とを比べている気がして「悔しくなった」。

こうなったら意地でも追いつきたい。そう思うほどになぜかその背中はますます遠ざかってゆく。「試合には勝てないし、調子も悪い。つまんない。ゴルフは大好きなのに・・・」。なぜか苦しい。

当時の心情を語っていたちょうどそのとき、授業終了のチャイムが鳴った。慌てた薗田は黒板の年表の、19歳のところに「人生計画表」と書き込み、さらにその5文字を黄色いチョークでぐるぐる囲った。
「みんなにもぜひ、これを作ってみて欲しいんです」。

さらに左側から、順に年齢を経ていく黒板の年表の、いちばん右端に「29歳までに世界4大メジャーで優勝する」と、書き込んだ。「これが達成出来たら死んでもいい」とのコメントも添えて、子供たちをどよめかせた。

生まれて初めての“授業”もギャグや突っ込みを織り交ぜて、片時も子供たちを飽きさせることがなかった。「授業中、誰も寝ない先生の授業もこんな感じだった」と、学生時代の恩師を参考にした。おかげで終始、笑いの絶えない講演会も、このときばかりは真剣だった。

究極の夢を達成するために、いま自分は何をすべきか。1年1年をどう生きていくべきか。19歳のころの薗田が「人生計画表」を作成するにあたって、それらを突き詰めていくうちに、気付いたことがあったのだ。
「今がピークでなくてもいい。今は負けていてもいい。大事なのは誰かと比べることではなく、自分が決めた“ゴール”で一番になることなんだ」。
そう思えたとき、石川へのこだわりが自然と消えた。「今の俺があるのは、遼のおかげ」とさえ実感できた。

19歳のときに作った「人生計画表」は、いまも予定帳に挟んで、ときどき現在の自分と照らし合わせる。計画どおりに進んでいること、又は保留になっていること。一つ一つ検証して再び思いを新たに歩き出す。

そんな自分の経験が子供たちの一助になればいい。「今日から僕はみんなの友達!! 迷ったときはいつでも僕のことを思い出してね」。それこそが45分の授業時間を大幅に延長してまでも、薗田が伝えたかったことだった。

最後に講演会に参加した3年の3クラスは96人分のサインをこなし、へとへとになって戻ってきた薗田は校長室の机の上に、今度は他学年の子供たちが、「ここにサインを!」と置いていったノートや紙切れが山積みになっているのを見つけて愕然とした。再び朦朧とペンを走らせ、半分放心状態だった21歳の、一体どこにそんなパワーが残っていたのか。

校長室の窓越しに、校庭で遊ぶ子供たちの声を聞くなり、再び土埃の中へと一目散に出ていった。若き伝道師は今回の一番の目的を、やっぱり忘れていなかった。「そりゃ、いちばん楽しい時間は放課後でしょう」と大人げもなく、あっという間にわきから子供たちのサッカーボールを奪い去り、ゴールに向かって猛然と駆けだした。
  • 軽妙な語り口とジョークで子供たちを引き込んだ薗田は現役大学生。実は「教職員免許を取ろうか」という頭もあったが今回で「やっぱ俺には先生は無理」と痛感したとか?!
  • 生徒を代表してお礼の手紙を書いてくれたのは、3年3組の田処貴大くん。講演会を聞きながら、即興で文章を作ってくれた!!
  • 薗田にお礼の花束を贈ってくれた丸山優杏(ゆあん、=左)さんの夢は大親友の渡辺凪(なぎ、=右)さんと一緒に「世界一のファッションデザイナーになること」。
  • 最後は全員で、「きみと僕の間に」を、可愛らしい振り付けつきで合唱してくれた3年生のみんな。「今日は本当にありがとね!!」

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