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敗れた日本チームが笑顔を取り戻した瞬間
小田は、この日最終日に崔虎星(チョイホサン)とのシングルスマッチプレーで7打差の惨敗を喫して、キャプテン・青木に頭を下げずにはいられない。ホールアウトするなり駆け寄った。
「スミマセン・・・!」。
この日は自ら志願して、先陣を切らせてもらった。「それなのに情けない」と自分を責めた。大事な決戦前夜に、風邪を引いた。「それもあって、今日は全然ダメだった」。しょっぱなから黒星の重いムードも、青木はひとことも小田を責めずにむしろ「体は大丈夫か?」と、ねぎらってくれた。
それがかえって、苦しい。
続く2組目で上がってきた薗田もまた、出るのは溜息ばかりだ。朴相賢(パクサンヒュン)を相手に、一度はタイに持ち込んだが、大事なあがり2ホールでやられた。相手の連続バーディに、最後も派手なガッツポーズで締められた。
チームでただひとり、無得点のまま3日間を終えた。「悪いゴルフはしていない」。ただ、会場の正山(ジョンサン)カントリークラブは芝目の強い高麗グリーンに、最後まで苦しめられた。「先輩たちの足を引っ張ってしまった」と俯いた。「ゴルフって本当に難しい」と、暗い顔で息を吐き出す。
裵相文(ベサンムン)に、9打差は5オーバーで大敗した池田勇太はただ、ただ自分に怒っていた。「最悪の1日。今日のゴルフはひどい、ホントにひどい。それだけです」。憮然とした表情は、なかなか晴れない。
石川遼も、姜庚男(カンキュンナム)を相手に、一時は7打差をつける快勝で初日、2日の汚名は返上したものの「自分の成績よりも、チームが負けたことは残念です」と、神妙な顔のまま。
初出場の高山忠洋には、ひとつ後悔がある。最終日は午後から雷のため一時競技が中断された。いったんコースから引き上げてきた選手たちが、レストランで一堂に会する場面があった。日本はほとんどの組で序盤から苦戦しており、すでにそのときから選手たちの表情は悲喜こもごもだった。
「今こそ、円陣だ」と高山は感じた。初日の開会セレモニーのときにもみんなで輪になり、最年長の藤田寛之の一声でひとつになった。今こそあいた時間を有効に利用して、「もう一度、あれをやろう」と高山が思いついたときには、すでにおのおの席を立ったあとだった。
「俺がもう少し、早く気付いていれば」。
高山は、この日は1日2イーグルをマークして勝ち点こそあげたが、最終ホールで洪淳祥(ホンスンサン)に10メートルのバーディを決められて、1打差の辛勝に冷や汗をかいたものだ。
「韓国にはそういう魂がある。負けても最後まで気持ちを全面に出していくようなところが。そういう部分は、僕らも見習うべきだと思う」と、力説した。「だから、あのときこそ円陣を組むべきだった」と地団駄を踏んだ。
10人それぞれのさまざまな思いが渦巻いた最終日。強ばったメンバーたちの心を計らずも癒したのが39歳の新入り、河井博大だった。最終日は李丞鎬 (イスンホ)の13番の1打罰もあり、ポイントを持ち帰ったが、初の代表入りには「最後の最後まで、本当にドキドキ。今までに味わったことのない緊張感」と、開幕から3日たってもなお初々しかった。
その緊張が最高潮に達したのが、表彰式での出来事だった。式典の最中に名前を呼ばれた。ふいのことで「何事か」と、たちまち挙動不審になった。
日本チームは2位の記念の盾を受け取る役目は河井選手だと、司会のアナウンサーが告げていた「なんで僕が??」と、訳も分からぬまま中央の赤ジュータンに駆り出されて、プレー中よりも何倍も緊張の面持ちで、ぎくしゃくと記念の盾を受け取った。妙におどおどしたその様子に、「顔がやばいよ、河井さん」などとメンバーたちは、みな腹を抱えて笑い転げた。そんな他愛ない出来事をひとつひとつ重ねながら、絆を深めていった今年の日本代表メンバーだった。
初回の2004年から3回連続3度目の代表をつとめた藤田は「今年も非常にバランスの取れた良いチームだった」と頷く。
2004年以来、2度目の代表入りを果たした近藤共弘も、初出場の松村道央も「最高の仲間とプレーが出来て良かった」と、声を揃えた。
今年は優勝賞金の20万ドルが、すべて東日本大震災の義援金として、寄付されることになっていた。いまだ未曾有の被害に苦しむ母国に、自ら持ち帰ることが出来なかったのは「非常に残念」と、片山もその点でも悔しがったが、「まず自分たちがゴルフで頑張ることが大事で、みんなで一致団結して、それが出来ていたと思う」と、藤田は言った。
確かに破れはした。「韓国チームも強かったけど、ほとんど五分五分の戦いをして、みんなでひとつになれたと思う」と、実感出来た3日間であったことが、42歳の最年長メンバーにとっても、何よりの収穫だった。