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国際オープンゴルフトーナメント 中日クラウンズ 2000
「クラウンズは私の“364日”の集大成。本番では、舞台の裏側と表側、両方知っているからこその味のあるコメントがしたい」
大会前、選手のみなさんと雑談をしているときによく聞くのは『僕は常にこのクラウンズを意識して、練習をしてきたんだ』というセリフです。
狭くて固い高速グリーンに、9番アイアンやそれ以下のウェッヂで球を完璧に止める技を、『それこそ12月の最終戦の沖縄オープンのころから意識してラウンドしている』と言った選手もいて、彼らのその意気込みに、とても感動したことがあります。
開幕まもない4月のこの時期ではありますが、1年の集大成としてこの大会を位置付けている選手が多いと知ってから、試合の様子を伝えるアナウンサーとしての私の責任は、ますます大きくなっていくばかりでした。
放送ブースの中から、たくさんの名勝負を見てきましたが、そうやって意気込んで会場に乗りこんで来たにもかかわらず、和合にコテンパンにやられ、肩を落して去っていく選手もたくさん見てきました。
特に、初出場の選手などは、練習ラウンドの日に私のところにやってきて、『田口さん、難しいって聞いてたけどここは距離もそんなにないし、今日は2アンダーで回れたよ』と笑顔で報告してくれたのに、翌日には大叩きして予選落ち。『これが和合の怖さなんだ』と言って励ましたことも、何度もありました。
私なりの分析では、『和合』とうまく付き合うためには、とにかく欲張らないこと。どんな状況になっても絶対にピンを狙わずに、謙虚にパーを重ねていくことが大事です。4日間、じっと我慢していたら勝っていた。そういう戦い方が理想ではないでしょうか。
しかし、追う立場だったりすると、選手に無茶な山越えや、2オンにトライさせてしまう…そういう目に見えない何かが和合には住んでいるような気がします。そんなコースの恐ろしさや、選手たちの苦悩などすべてをあますところなく伝えたい…毎年、そんな気持ちでこのクラウンズを迎えるのです。
また、私がアナウンサーと大会事務局長を兼任することになった1995年の第35回大会から、私にとってこの中日クラウンズは、“364日間”の集大成となりました。
華やかな舞台の裏には、テレビ中継には映らないさまざまな苦労や涙があります。
一度、招待外国人選手のデービスラブ選手が、体調不良で突然の欠場となったときなどはさすがに血の気のひく思いがしました。そういった出場選手のケア、それとコースに足を運んでくださるお客さまへのケアなど、開催前日まで問題は絶えません。
1年がかりで、数え切れないほどのスタッフの方々とともに、必死になって舞台を整え、そして本番の土・日にカメラの前に座る…それはなんとも言えない充実感に溢れています。この日を迎えるまでにはいろんなトラブルにも出会い、悩みも抱えてきたけれど、『ひとつひとつ、みんなで力を合わせて解決してきたからこそここに座っていられるんだ』という思いがこみ上げてくるからです。
本番の中継ではそんな裏方の苦労も知っているからこそ言える、味のあるコメントが発信できたらいい。それが大会事務局長とアナウンサーをかけもつ私に、課せられた義務だと思っています」