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2003 アジア・ジャパン沖縄オープンゴルフトーナメント 2004

第3ラウンドは、合田洋が通算9アンダーで単独首位

来年2004年が期限の『10年シード』を手に入れた、94年の日本プロゴルフ選手権。最終日、合田は強い風が吹く中、17番まで1バーディ3ボギーと耐えに耐えて最終ホールを迎えていた。

追うジャンボは4バーディ1ボギー。1打差の18番で合田は第2打をバンカーに打ち込んだ。
一度、手にしたサンドウェッジ。思案した末にパターに持ち替え、バンカーから転がす奇策で渾身のパーセーブで逃げ切った。

初優勝の歓喜にむせび、祝福に差し出されたジャンボの手になかば体ごと寄りかかるようにして、男泣きしたシーンは、今でもゴルフファンの間で語り継がれている。
あれから10年。合田のツアー2勝目のチャンスに立ちふさがったのは、またもや、 ジャンボ尾崎だった。

2打差3位のジャンボと同じ最終組で迎える最終日。
当時は、ジャンボ全盛期のとき。「怖い」という印象が先に来て、ほとんど口もきけ なかったが、シード選手として同じ舞台に立つようになって、何度か同じ組で回るうちに、ジャンボの人となりも見えてきた。
「ジャンボさんはかなりの“男前”。人間的に、出来た人だと思う」と、迎え撃つ敵の全容も、ほぼ把握できている。

この日3日目も、強い風が吹き荒れる中、14番でカラーからチップインイーグルを奪うなど68で上がってきた。

2日目に痛めた左肩。この日はヒジにまで痛みが及んだが、「治療? 何もしない。それで死ぬようなことがあるわけじゃないし」。持ち前の「ど根性」も戻ってきた。

ジャンボとの最終組で、ついて歩くギャラリーの数も多そうだ。「恥ずかしがり屋だから」その点だけが気がかりだ。
「人前でゴルフをするのは実は苦手」という合田。
「・・・まるで裸を 見られているみたいな気がするんです(笑)。この順位のまま、僕だけインコースのトップで回らせ てくれないかなあ」。
10年ぶりの優勝のチャンスを前に、冗談を言う余裕もある。

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