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フジサンケイクラシック 2010
石川遼が連覇を達成
そんなのは、それまでのツアー通算7勝の中でもなかったことだった。これまで数々の劇的シーンを演じてきた石川にとって、このツアー通算8勝目は思いも寄らない幕切れだった。
プレーオフ4ホール目。薗田峻輔が、1メートルもないパーパットに狙いをすませた。「まさか、先輩があれを外すとは思えない」。すでに気持ちは次の5ホール目に向いていた。
「さあ、もうひとホール行こう」と、体もティグラウンドの方へ向いていた。
そして、最後は必ずどちらかが「バーディを獲って決着をつける」。
それこそが、2人にとっての理想の勝ち方。そのためならば、たとえこのあと、何ホール続いても構わない。
だが目の前で、薗田がその短いパットを外すのだ。ふいに転がり込んだ今季2勝目。ガッツポーズなど、出来るわけがない。「ありがとうございます」と抱き合ったものの、すぐに笑顔は出て来ない。
「遼も納得できない顔をしていた」と、済まなそうに薗田は言った。
石川は、「先輩があのパットを外した瞬間、複雑なものが胸の中にあって。ましてそれで僕の優勝が決まったのは、今までになかったこと。どう思ったらいいのか分からなかった」と、戸惑いは隠せなかった。
ジュニア時代からしのぎを削り、杉並学院高時代は2つ先輩・後輩の2人が放課後の部室で語り合った夢。「いつか、ツアーで一緒に優勝争いしよう」。
その瞬間は、本人たちには思いのほか早くにやってきた。
石川が、3打リードで迎えた最終日。かなわなかった最終組での直接対決。そのかわり最後に願ってもない、二人きりの舞台が整った。
2位タイからスタートした薗田は、「遼の連覇は僕が阻止する。前半で3打リードを奪って勝つ」と宣言。その言葉を裏切らない猛追だった。6番は3つめのバーディで、逆転を奪われた。
石川も11番のチップインバーディで一度は追いつき、しかし12番のボギーで再び突き放されて、そのあと再三のチャンスを外した。17番パー5も3メートルのバーディチャンスを逃し、思わずその場にしゃがみ込む。一度は「闘志が消えかかった」。だがその直後に、ひとつ前の薗田が18番でボギーを打ったことを知る。
「掲示板で、薗田さんのスコアが9アンダーに変わった。燃えるものが、一気に燃え始めた」。
薗田に1打ビハインドで迎えた最終18番。この週は水曜日から、やはり8番アイアンで毎日10分、練習を繰り返してきたというバンカーショットがはからずも生きた。残り176ヤードは左バンカーからの第2打を、ピンそば1.5メートルにつける土壇場のミラクルショット。プレーオフに持ち込んだ。大歓声が、富士の裾野に轟いた。
今をときめく若い2人の一騎打ち。びっしりと埋め尽くした満員の観衆も、誰ひとりとして席を立つ人がいない。「すべての視線が僕と、薗田先輩のショットに注がれていて、夢のような時間。いつまでも続いて欲しかった」と陶然と、「また、こういうのを何度でもやりたいです」。
終わりこそ、2人が思い描いていたものではなかったかもしれない。だが石川は「手の中から“優勝”という二文字がこぼれそうになるのが早かったので、今年のほうがつらい時間が長く、険しい道。最後は体と心を使い果たした」と、いまも尊敬してやまない先輩とともに、まさに力を出しきった計76ホールだ。
5打差の圧勝だった昨年大会は、ほとんどプレッシャーとも無縁だった。しかし、今年は本戦の18番のバーディパットも、震える手で打った。74ホール目には、臨時の仮設物の介在で救済を受けられたことなども挙げて「その中でも勝てたのは、実力の差ではなくほんの少し、僕のほうがツイていただけ」。また、75ホール目には「先輩のバーディパットが最後の30センチくらいで入ったと思った」と、負けを覚悟した場面も。
宣言どおり前半のうちに、自分からリードを奪った先輩だ。「やっぱり薗田さんの精神力は凄かった。勝った負けたことよりも、いい物を学べたような気がする。最後にプレーしたのが憧れの薗田先輩だったことも、幸せでした」と、敬意の気持ちは変わらない。
大会連覇は、1990年大会のジャンボ尾崎以来という。20年ぶり4度目(3人目)の快挙達成だとヒーローインタビューで聞かされて、ようやく少し笑顔が戻った。
「光栄です。僕もいつか、ジャンボさんのようにミスター・フジサンケイと呼ばれたい」。
18歳最後の大会での劇的Vは、一番乗りの今季2勝目で賞金ランクも1位に躍り出た。「戦国時代」と言われる今季のジャパンゴルフツアーはまたひとつ、大きく成長をとげた19歳が、2年連続の頂点に向けて力強く歩き出した。