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関西オープンゴルフ選手権競技 2012

薗田峻輔が2年ぶりのツアー2勝目に手応え

王様から迷いが消えた。恵まれた体をめいっぱいに使って、のびのびとスコアを伸ばした。スタートの1番でイーグル発進。280ヤードの第2打を、スプーンで6メートルにつけた。
通常営業ではパー5の11番は、487ヤードの長いパー4でも残り170ヤードの第2打を、7番アイアンで楽々と7メートルにのせた。最難関でのバーディ獲りにも「右肩上がり」と復調ムードを漂わせた。

かつて後輩の石川遼に、「王様のゴルフ」と言わしめた。攻守揃った抜け目のないプレーで好スタートを切った。
「今までは、いろいろ考えて、どうすればいいかわかんなくなって。窮屈になっていたから」。
確かに今季は構えてからクラブを始動させるまでが異常に長くて、固唾をのんで見守るギャラリーからは「どうしちゃったの」と、小声が漏れることさえあった。

しかしこの日はその片鱗は微塵もない。構えてすぐ打った。動作が見違えて、スムーズになった。「何も考えずにのびのびとやれた」。デビュー当時の姿が戻ってきた。

ヒントを得たのは3週前だ。「サン・クロレラ クラシック」は予選落ちを喫して週末の優勝争いは、自宅のテレビで見た。アマチュアながら、2位タイにつけた松山英樹さん。「あれだけスイングの状態がいいと、本人も自信を持って振れる。今の自分に足りない部分。うらやましかった」。

デビュー当時の自分と重ねた。「俺も1年目は早々に勝てて、気持ちも楽にやれていた」。
当時の最速記録となった出場5試合目のツアー初V。「毎日が楽しくて、仕方なかった」。
しかし、浮かれた気分は長く続かなかった。「先輩プロたちは、これを10年も20年も続けているんだと。そう気づいたら圧倒されて。このまま呑気にやっていたら、ダメなんだと」。

レベルアップのためにと様々に取り組み始めた課題が、次第に薗田を苦しめるようになった。王様のゴルフも理論でがんじがらめになっていた。「同年代がぐいぐい上がって来ているので、自分もどうにかしないといけない」。そうもがけばもがくほどに足がもつれた。

ほどいてくれたのが、松山さんだった。
「そうだ、昔はあんなふうに振っていた」。
さっそくテレビの前で、クラブを持ち出しああでもないこうでもない。
「松山は自然とテイクバックでクラブとフェースのラインがぴたっと来ている。でも俺はシャットに上がってこんなにもズレてたんだと」。

不振の要因を究明したとたんに、ひらめくものがあった。
「ジュニアのころやっていたように、振ってみよう」。
明治大学4年の“学生プロ”はそんな課題を手に、先週まで2週間のオフは、監督に請われてゴルフ部のタイ合宿にコーチ役として参加。
後輩たちを指導する中で、徐々に確信に変わっていった。
「調子の良い人が、ナイスショットをするのはそれなりの理由がある。俺もこれなら対等に戦っていける」。名実ともに、そう実感出来た初日だった。

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