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スナッグゴルフ全国大会の翌日は、社会学習見学会を実施(9月22日)
「第13回スナッグゴルフ対抗戦JGTOカップ全国大会」の会場となった宮城県はしかし深い、深い悲しみの記憶と隣り合わせの街である。
3年前に、仙台ヒルズゴルフ倶楽部に会場を移してから、大会と連動して始めたのが参加児童のみなさんに、未曾有の大災害の教訓を学んでもらおうという取り組みだ。昨年は、台風の影響で中止となったが一昨年に続いて2回目の「社会学習見学会」は、特に被害のひどかった石巻市と名取市の閖上地区と、亘理町、山元町の惨状を、子どもたちがそれぞれに見て歩く行程である。
テレビを通して見た光景も、実際に現場に立つとこれほどまでに違うものなのか。前日はあんなに元気だった子どもたちの胸がふさいでいく。「怖い」と、口に出せる子はまだいい。
声も出せず、当時のビデオ映像もまさにその場に立って見るのとでは大違いで、耐えきれずにうつむいてしまう子もいた。
山元町では海沿いに建つ中浜小学校の、今は使われなくなった校舎を見学した。
3月11日のあの日。地震発生の15分後に津波注意報が発令された。さらに15分後に第二波の警報が出されたが、実際に3キロ先の集落までのみ込む大津波が押し寄せたのは、その1時間後だった。
空白の時間が生死を分けたという。停電により、その間の情報が遮断される不運も重なり、津波は杞憂に終わったのではという安心感が、さらに被害を大きくすることとなった。周辺の中学校はちょうど卒業式が終わったところでみな帰宅し、多くの生徒が自宅ごと流されたという。
中浜小学校は、6時限目の授業中だった。先生方は、非常に難しい判断を迫られる中で、とっさに児童たちを校舎の3階部分に当たる屋根裏部屋に避難させることにした。狭い階段を急いで上がらせた。
それでも浜辺の松林をあっという間になぎ倒して迫った大津波はあっという間に校舎2階の天井にまで達し、屋上から伸ばすと冷たい海水が手に触れた。
静かに子どもたちを励ましながらも先生方は、胸の奥ではそのまま死も覚悟されたという。
真っ暗な校舎の中で、底知れぬ恐怖と不安と寒さに耐えて、自衛隊のみなさんに救助されるまでの一晩を過ごしたという子どもたち。自分たちと、同じくらいの歳の子たちが経験した壮絶な記憶だ。
4年と3ヶ月がたった今もきっと、忘れられるはずがない。
「家を失い、家族を失い、すべてを失った人たちは、世界中から届けられた支援物資に救われ、歯ブラシ1本、タオル1本が嬉しかった」。当時、中浜小の近隣の山下中学校の校長をつとめ、自ら被災しながら避難所となった同中学校で被災者の支援に尽くした渡辺修次さんがこの日、震災の語り部としてお話をしてくださった言葉が、子どもたちの胸に迫る。
すぐそばの沿岸部には今、防潮堤や高台造成の工事のために、日本全国から集まった大型ダンプが道路をひっきりなしに行き交う。社会学習見学の途中にも、福岡ナンバーや青森ナンバーのダンプとすれ違った。
復興の足音が確かに響く中で、黒板のチョークの文字すら当時のまま残されている中浜小の校舎は、ガラスというガラスが割れ、玄関の天井は抜け落ち、内壁は砕け落ち、鉄杭から何から剥き出しだ。
旧校舎の中も、今は廃屋のがらんどうで、当時の爪痕の深さを今も伝える。
全国のあちこちで、今も地震速報は鳴り止まない。火山は噴火し、今月は台風による甚大な水害もあった。自然災害の恐怖と、防災意識を子どもたちに伝えていくことは、大人たちのつとめだ。
被害に遭われた方々の心に寄り添う思いやりの心を養うことも、また同じである。
前日はスナッグゴルフで共に日本一を目指したお友達と今日は、一緒にバスに揺られながら、子どもたちはただ無言で震災の傷跡を見つめていた。