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宮崎にマムシのジョーが登場!(強化セミナー2日目、19日)
今年4回目を迎えたJGTO主催の強化合宿「JGTOゴルフ強化セミナーin宮崎フェニックス・シーガイア・リゾート」は、昨年から特別講師に、レジェンドを招くことになり、18日からスタートした今年初回の特別講義に颯爽と現れたのは、尾崎直道。
地元徳島県の小学生のころだ。校庭から田畑に向かって、快打を連発した長兄。強烈だった。「その姿を見て、自分もゴルフにのめり込んでいったんです」。目指したプロの道は、すでに2人の兄がスター街道を歩んでいたこともあり、思いのほか注目を集めた末弟のプレッシャーは、相当なものだった。
「ゴルフのスイングもね、何が正しいかって分からなかったし、テストも大変だったし、勝つまでに時間もかかったけど、置いてけぼりは嫌だ、ってことで。もう、負けん気だけだよね」。
見よう見まねで誰よりも偉大な兄たちに、追いつきたい一心だった。1984年の静岡オープンで初優勝を飾るまでには8年かかった。常に立ちはだかる大きな壁。「心が折れそうになったこともある」。兄ジャンボの常勝期。はねのけようと、懸命にもがき苦しみながら、執念で積み重ねた勝ち星は32。
99年には、米ツアーの掛け持ち参戦ながら、自身2度目の賞金王にも輝いた。幾たび栄光を重ねても、その先には常に兄の大きな背中があった。
「とにかくジャンボには、負けたくなかった」。兄への強烈なライバル心こそが、いつの時代も何より心の支えになった。その思いがあったからこそ、厳しい練習やトレーニングにも耐えられた。
「心技体とはよくいうけれど。やっぱりね、どんなときでも大切なのは、諦めない気持ちなんだな」。技術を支えるのも、体力を支えているものも、究極はそこに尽きると直道は信じて疑わない。「心が折れてしまったら、向上心もなくなるし、体力も衰えていく」。
一時期は、趣味の項目にトレーニングと書き込んだ。ツアーでいま6人しかいない永久シード選手の一人は、つかの間の宮崎でもストイックに飛んだ、跳ねた・・・!
廣戸聡一先生監修のトレーニングメニューは、自らも若者たちに混じって「キツい・・・!」と息を切らしても、当然だ。58歳。さすがに直道は、そこまで参加は出来なかったが今年は4回目の開催にして、初めてこの宮崎合宿で、フェニックスリゾート内のプール施設を活用したメニューを取り入れるなど、廣戸先生は「今年はより本気モードのトレーニングを実戦する」と公言しているだけに、生半可ではない。
午前中はフェニックスカントリークラブの練習場の片隅で行われたメニューはその過酷さに、若人たちと共にさすがのマムシも端正なその顔だちを、苦痛でゆがめながらも、見よ、この跳躍力!
まだまだ、負けてたまるか。さあ、俺について来い・・・・・・!!
「俺も今日、廣戸先生に習って、またゴルフを楽しみたくなってきた」と、喜々として言ったが、直道がいう「楽しみたい」とは「今の若い子たちが、優勝争いを前に、自分のゴルフに専念してゴルフを楽しみたいとかよく言うじゃん?」。ああいったニュアンスとはちょっと違うという。
幼い頃から2人の兄に、挑み続けてきたゴルフ人生だった。「子どものころから、遊びといったら、僕の場合は目の前の相手を倒すこと。兄たちに、友達に勝つためにはどうすればいいのかを、考えること。負けないために、夢中になって戦うこと。それが僕の場合は“ゴルフを楽しむ”ということだった」。
それは昔も、今のシニアツアーでも変わらない。それがマムシの戦う原動力なのだ。
「今の子たちは文字通り、楽しそうにゴルフをやっているとは思うけど、スポーツマンシップって本当は、全力で相手に立ち向かって、お互いに本気で倒し合うことであって、本当の友情も、そこから生まれるものじゃないのかな。それが相手に失礼のないゴルフをするっていうことじゃないのかな」。
レギュラーでもシニアでも、いつも憎らしいくらいに堂々と、颯爽とティーインググラウンドに立っているように見える直道も、「実は、凄く足が震えているし、僕だってアガったりもする。でもだからこそ、ティグラウンドに立つときは、一打一打一球入魂。気合いを入れる。やるぞ、誰にも負けねえぞ、ってスイッチを入れるんだ」。
そうすると、不思議と腹が据わるという。「スタート前にね、“行くぞ”って、気合いを入れると“軸”がすっと通るというか、“あいつには絶対に負けねえぞ”って。そういうのが意外と、18ホールを支えてくれたりするんだな」。
単なる精神論ではない。それがマムシのプロ38年目の真実。
歯を食いしばり、がむしゃらに歩んできた道のりを、ジョーは余すところなく参加者たちに伝えた。