記事
ダンロップ・スリクソン福島オープン 2017
宮本勝昌が、人生最後の優勝をもう一度
1打差の首位で迎えた18番は、「ティショットも100点。セカンドも、100点。この緊張感の中で、ここまで完璧が2回続くことは今までなかった」。
フェアウェイの真ん中で、スプーンを持った2打目は「副交感神経か、アドレナリンか。集中力を高めて打つことが出来た」と奥に着弾させると、ボールはゆるやかに傾斜をたどった。観客の「戻れ、戻れ」の大合唱に乗って、じわりとピンに寄った。3メートルのイーグルチャンスに会場は沸きに沸いた。
「こんな勝ち方なかなかない。これを入れて、内村航平ばりの観衆をあおるようなパフォーマンスを」と、なぜか人気の体操選手をイメージしたVシーンは結局、実現せずとも44歳のビッグスマイルは、福島の人々の心を明るく照らすに十分だった。
同組の任成宰(イムソンジェ)は「まだ若いのに落ち着いていて、完成されたゴルフをする。引きはされないように」とそう言いながらも前半、19歳との一騎打ちも終始有利にゲームを進めた。
17番のボードで、後ろのIHが迫っていることを知っても冷静だった。
前日3日目には「もっとアグレッシブにやりたい」と切望しながら結局、大混戦の最終日も「今までやってきた中でも、非常に落ち着いてプレーをしていた」。
44歳が19歳と、破格の飛ばし屋の前で貫禄勝ちした。
最後は「実力どおり」とうそぶいて、大観衆を笑わせた。
2014年のゴルフ日本シリーズJTカップでツアー通算10勝目を飾ってから2年半。
「40歳を過ぎている人ならみんな思うとおもうが、自分はもう優勝できないかも、と。あれが、人生最後の優勝だったと」。
枯れかけた心に再び火がついたのは、今年4月のパナソニックオープンだ。
ひとつ上の久保谷健一とのプレーオフはその1ホール目に、まさかのOBを打つ屈辱。
「群を抜いて悔しい」と言った。
「これなら1打差の2位で終わったほうがましだった」と言った。
この悔しさは「勝つことでしか晴らせない」とも。
やにわに次の11勝目をがむしゃらに模索しはじめた中でも40代も後半にさしかかり、チーム芹澤の面々も、あれだけ羨んだ健康体に陰りが出ていた。
今年は持病のヘルニアの症状がでる頻度が確実に増えていた。
特に、この1ヶ月は予断を許さぬ状況に、恩人への思いが増した。優勝スピーチでスポンサーや関係者、ボランティアさんやコース、地元福島のギャラリーのみなさんへの感謝を述べた最後に、太田敦トレーナーの名前を挙げて「苦しい中で、いろいろなアイディアを出してくれた。おかげで勝つことが出来た。ありがとうございます」。
今週、バッグを担いでくれたプロキャディの佐藤亜衣理さんには「今週は体調が優れない中で、弱音も吐かずに頑張ってくれた。ありがとう」。
年齢を経て、失うものの多さと勝つことの厳しさを、痛感すればするほど、周囲への感謝の気持ちが増していく。
「自分が活躍することで、支えてくれる人たちが喜んでくれる。勝つことで、恩返しが出来る。そういう、支えてくれる皆さんと、喜びを分かち合いたい。若いころには思わなかったこと。自分は恵まれていると思う。そういう心境の変化がある」。
デビュー当時は、ジャンボ尾崎に可愛がられて、テレビや雑誌の取材が増えた。
石川遼が、史上最年少Vを飾った年にはたまたま選手会長として、脚光を浴びた。
「長いものに巻かれて成功してきた人間。僕の人生はツイている」。
前回の優勝で得た複数年シードが切れるこの年に、再び2年シードを獲得して、47歳まで出場権を確保したことも「運が良かった」と喜ぶ。
さらにそこに生涯獲得賞金25位内の資格も足せると思えば「48歳まで命が延びた。シニアへの道も開けてきた。苦しい時に、またこうして優勝させてもらって息が伸びた。神様や、ご先祖さまにも感謝したい」とこのツアー通算11勝目も、まるで他力本願のように語るが今でも師匠の芹澤や、兄弟子の藤田にも負けず劣らぬ練習の虫である。
「これからもいろんなことをクリアして、人生最後の優勝をまたしたい。支えてくださる方々が、喜んでくださる顔をまた見たい」。
優勝スピーチを聞きながら、トレーナーの太田さんも、キャディの佐藤さんもボロボロと泣いていた。
これからも、人生最後の勝利を一度と言わず何度でも、重ねてまた何度でも恩人たちを泣かせてみたい。