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宮本勝昌の3.11
「あの日、あの時、僕は静岡県御殿場市のゴルフ場にいました。当地の震度は4でしたが、練習場の地面がゆらりと波打ったように感じて、『めまいかな…?』と思った瞬間、駐車場のあちこちで、車の警報音が鳴りひびきました。
ただ事ではないと思い急いで帰宅しましたが、停電で信号機は止まり、途中のホームセンターは、すでに非常品を買い求める人で溢れかえっていました。渋滞も発生し、いつもは車で15分足らずの道が確か40分以上はかかった。
電気が復旧したのは夜中でした。
テレビがつかないので、ときどき車に行って、ラジオで状況を確認したり、家族と余震におびえながら、その晩は懐中電灯やろうそくで過ごしました。
津波の映像に、声を失ったのはその翌朝です。
直後から、選手会長だった僕のところにたくさん電話がかかってきましたが、被害の状況が明らかになればなるほど気持ちばかり焦って、何をどうしたら東北の方々のお役に立てるのか、分からなくなっていきました。
4月のツアー開幕が迫っていましたが、正直ゴルフどころの心境ではありませんでした。
青木(功)さんやジャンボ(尾崎)さん、中嶋(常幸)さんをはじめレジェンドのみなさんにご意見を伺ったり、前任の深堀(圭一郎)さんや横田(真一)さんなど、先輩プロのみなさんにもたくさん相談して助けていただきました。
まずはJGTOと選手会で、その年の賞金総額などから2億円超の義援金を拠出することを決め、試合会場など各地で街頭募金を続けるなど、手探りの活動が続きました。
7月には選手10人で、宮城県女川町への訪問が実現しました。
あの日は炊き出しも予定されており、集合地の仙台駅をバスで出発した時はみんなすごく張り切っていたのに、現地に近づくにつれて、変わっていく車窓の景色に次第に話し声も消えていき、バスを降りる頃には全員、顔がこわばっていました。
(この状況で、俺たちに何ができるの?)
(来たって、かえって迷惑じゃないのか)
心の中はみな無力感と不安でいっぱいになりながら、それでも、みなさんの前ではできる限り笑顔で振る舞い、なんとか少しでも元気になってもらわなくては、と懸命になりました。
だから、小さな子たちが楽しそうに笑ってくれたり、『来てくれてありがとう』と言ってもらえた時には、逆に僕たちのほうこそありがとうございますと、泣きたいくらいに嬉しかった。
大したことは何もできなかったのに、そんなふうに言ってもらえて、一瞬でも笑ってもらえて、それだけでも来て本当に良かったと思えたことを、今でもすごく覚えています。
東北の震災で、僕らは『ゴルフをやっているだけでは済まされない』ということを、改めて思い知りました。
近年は、特に『50年に一度』と言われるような災害がひんぱんに起きて、今は未知の感染症という新たな脅威におびやかされています。
自分たちのあまりの無力さに、くじけそうになることもあるけれど、それでも自分たちが今できることをコツコツと続けていくしかない。
あれから10年が経ち、49歳となる今年も理事として、僕も名前を連ねてはいますが、今では選手会もすっかり若返り、時松・選手会長をはじめ、20代、30代の選手が中心となって、頑張ってくれています。
被災地への寄付を始めてから4年目の2015年から宮城と福島、岩手県に福祉車両を寄贈することを決め、今ではその年の選手会長が、3県に直接お届けしにいくことが、毎年の恒例公務のひとつになっています。
ほとんどの試合が中止となってしまった昨年は台数こそ減ってしまったけれど、それでも途切れさせることなく、みんなで力を合わせて実施にこぎつけてくれました。
どんな小さなことでも続けることが大事ですし、長く続けることこそ難しいこの世の中で、今も東北に心を寄せて、活動を引き継いでくれていることが嬉しく、そんな若い選手たちを同じプロとして誇りに思います」
ジャパンゴルフツアー選手会 理事 宮本勝昌
※ヤフージャパンの「3.11震災10年特集」では選手会長の時松隆光と同副会長の石川遼が寄稿しています。こちらもぜひご覧ください。