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僕らのツアー選手権 / 宮本勝昌の選手権(そして、これから)

選手権で最初の優勝は29歳でした。若いっ!©JGTO
2020年度のツアー最強選手を生まないまま、開催週は終了した。
本来の最終日にあたる6月7日も過ぎたがもう少し、JGTO主催の「日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ Shishido Hills」について、みんなで語り合ってみる。

昨年まで20回の歴史を重ねた5年シードのこのタイトル戦で、複数勝利を飾った選手は2人だけだ。

初回の2000年と、第4回大会を制した伊澤利光。
もう一人が第2回と2010年で勝った宮本勝昌だ。

いずれとも、発足時のホウライカントリークラブ(栃木県)と、03年に移った現在の宍戸ヒルズカントリークラブ(茨城県)の、両・難コースを攻略。

宮本の2勝目は、大会の発足からちょうど10年目の節目だった。それからさらに10年を経た今も、レギュラーツアーの第一線に身を置く。

発足から大会をつぶさに見てきた47歳の歴代覇者は、今だから思う。

『ツアー選手権』は、すべてのトーナメントのモデルケースでありたい」。

宮本の最初の優勝は、大会が始まってまだ2回目。当時は29歳。
「自分も若かったし、大会がどうなっていくのかまだよく分からなかった。5年シードの試合で勝ててラッキー…くらいの気持ちだったと記憶していますが、2度目の優勝は、少し違った」。

JGTOが主催するトーナメントとして回を重ねて、選手や関係者が、「選手権」に賭ける意識は確実に高まっていた。
11回大会で2勝目を飾った時には宮本も、肌で感じるようになっていた。

「自分たちなりに価値を高めて、みんなで盛り上げていこうという思いが自然と生まれてきた。僕自身、今では『選手権』を『日本オープン』にも並ぶ、大事な大会のひとつと数えるようになっています」。

昨年、20回目の記念大会では屈指の17番ホールで、プレー中の選手のカメラ撮影をギャラリーのみなさんに解禁した。
また、選手自身が自ら大会の広告塔になってSNSで積極的に配信したり、独自の取り組みも年々、活発になっている。

自分たちの主催大会だからこそ、挑戦できることは無限大。
「コースセッティングも、ティ位置を思い切って変えたり、マスターズみたいにパー3コンテストを開催してもいい」。
今年は残念ながら、順延となったが来年への新しいアイデアは、次々浮かぶ。

「失敗もしていい。自分たちの大会だから。
JGTOの独創性をもっと出していって『選手権』が、今までの常識では考えられないような、一歩先行くメジャー大会になって、ゴルフ界を引っ張っていくようになれればいいなと思う」。

そして、若い力の発掘と成長の促進は、もちろん何より今いちばんの急務だ。
最も新しいチャンピオンは、母校・日大の後輩。
「去年は堀川未来夢(みくむ)が勝ちましたが彼にはこの1勝だけではなく、何度でも勝って伊澤さんと僕の大会2勝なんか、さっさと塗り替えて欲しい。これからのツアーを引っ張っていける存在に、早く成長して欲しいと思います」。
ベテランの宮本自身もそんな若手に負けじと、新たな大会3勝目を求めていくのはもちろんだ。
  • 9年後に2度目の優勝。現会長と、小泉直・前々会長に挟まれて。歴史的ショット
  • 土曜日のゴルフ×祭りのコラボ「グリーンフェスタかさま」は常連。いつも愉快なパフォーマンスが大好評です
  • 昨年の17番ホールは、プレー中も撮影可能に。好評でした
  • 選手権で2度目の優勝は今から10年前。やっぱり若い!

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