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「10年経っても忘れない」宮本勝昌が五輪中の震災復興支援に思うこと

男子ゴルフは空き週だが、各地で地区競技やチャリティ大会が行われている。
「みんな忙しそうだったし、僕はたまたま空いていたから」と言った宮本自身も、7日に行われる岩手県オープンに出るため8月5日に、岩手と宮城で行われた寄贈式から、再び岩手にトンボ帰りのスケジュール。
それでも、「僕で何かお役に立てるなら」と、参加を決めた。
今年は震災から10年。
2011年は、自身3期目の選手会長だった。
寄贈式への移動の車中で、「あれは……確か7月だったかな?」。
10年前に、選手会のみんなで宮城県の女川町を慰問した日も、この日みたいに暑かった。
宮本の年に、みんなで手探りしながら始めた復興支援のチャリティ活動はその後、池田勇太(13ー15年)→宮里優作(16ー18年)→石川遼(18ー19年)と、現職の時松隆光に引き継がれて今に至る。
10年目の寄贈式は、ちょうど五輪の開催中。
「僕は大野将平さん(柔道)の金メダルに感動しました」などと宮本も、用事がない日は1日テレビにかじりついたが、いよいよ残りは3日。
女子ゴルフは7日に最終日を迎える。
「ぜひ、メダルを獲って欲しいですね」と、エールを贈る。
「ふれあいランド岩手」で行われた寄贈式では惜しくもメダルを逃した松山英樹の話題で持ちきりだった。
「本人が一番、悔しかったと思います」などとエースの思いを代弁しながら歓談に応じた。
「誘致の段階では復興五輪と声高に言われましたけれど、実際に始まってみると、あまりそういう雰囲気が感じられずに少し寂しい思いをしています」との声を複雑な思いで聞いたのは、宮城県での寄贈式だ。
「でも、選手会のみなさんは、10年経ってもずっと忘れず、私たちに思いを寄せてくださるだけでなく、五輪の開催中でもこうして私たちに会いに来てくださる」との謝辞が宮本の心に刺さった。
「選手会のみなさんにくれぐれもよろしくお伝えください」との伝言も心して預かった。
19年まで3県に各10台ずつ、毎年計30台ずつ寄贈を続けてきた福祉車両も、コロナ禍の昨年から各県1台ずつと数を減らすしかなかったが、その分、寄贈車の「スズキ アルト」を四輪駆動にバージョンアップ。
6日に行われた福島県総合社会福祉センターでの寄贈式は、岩手県オープンのプロアマ戦と重なり、やむなくJGTOスタッフに代理を頼んだが、今年の寄贈町村の飯舘村社会福祉協議会の齊藤修一・会長は、「雪が多い山間部で四輪駆動は本当にありがたい。ご高齢者の送迎などで、大切に使わせていただきます」と、帰路はさっそくピカピカの新車で約1時間の快適ドライブを、たいへん喜んでくださったそうだ。
選手会長の時松からは、労いの電話ももらった。
「たとえ規模は小さくなっても、いつまでも東北のことを忘れず、自分たちが今できる限りのことを精一杯、長く続けていくことが大切と、改めて感じることができました」と、宮本。
ツアー後半戦が始まる8月19日ー22日の「セガサミーカップ(北海道ザ・ノースカントリーGC)」では10年目の東北で、改めて刻んできた思いもみんなに忘れず伝える。
どこにいっても英樹の話題で持ちきりです 「行く先々でお礼を言っていただいて嬉しかった」と宮本。「次のツアー会場で、みんなにも必ず伝えます!」 代表して、みんなの思いを伝えてきました 福島での寄贈式は、JGTOの小山がしっかりと代行しました!