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日本オープンゴルフ選手権競技 2022

大会100余年の歴史を変えた@蟬川泰果さん「30歳まで日本を主戦場に」JGTOの歴史も変える

21歳の大学4年が長い歴史の扉をこじあけた。
アマチュアの蟬川泰果(せみかわ・たいが)さんが、2位と2打差の通算10アンダーで逃げきり、記録尽くしのツアー2勝目を達成した。



初日から首位を走り続ける完全優勝は、本大会では2008年の片山晋呉以来14年ぶりだ。また、アマとしては1980年「中四国オープン」の倉本昌弘以来。

大会のアマVは第1回1927年赤星六郎氏以来、史上2人目。
実に、95年ぶりの快挙である。


そして、プロの試合でアマの2勝は史上初。

過去にアマVを達成している倉本も石川遼も、松山英樹も金谷拓実にもできなかったことである。

「自分ちょっとやるな、と思いますね」と、本当に嬉しそうだった。


スタート時は2位と6打差があったといっても、最終日は乾いた風が吹き、ピン位置は厳しく、グリーンは締まり、けっして楽な道のりではなかった。

1、2番は続けて獲れたが、その後バーディはぴたりと止み、最後の18番に入った時には、2位の比嘉とはわずか2打しかない状況で、2打目を奥左のバンカーへ。

リカバリーの3打目は、逆側の刈り込みまで飛んで、外からピンまで5メートルのパーパットが残った。


数々の快挙達成を目前にして、これからシビれるパットを打つという時に、蟬川さんはなぜか幼馴染みの石過龍次郎(いしか・りゅうじろう)キャディとニコニコしていた。


石過さんによると、2人で「セカンドショットを反省していた」という。

「ピンまで167ヤードで、7で打つか8で打つか。迷って8でがっついた。引っかけてしまって、“まだまだへたくそやな”と。“もっと練習が必要やな”と言って笑っていた」(石過さん)と、反省からの見事なセーブ。

「自分、けっこう持ってるな」と、まさに“タイガばり”のガッツポーズで地元の大歓声に応えた。



5番での3パットボギーや、前日3日目にワンオンイーグルで沸かせた9番パー4ではこの日奥のラフから「まさかアプローチが2度も“くぐる”とは」と、すぐそこのグリーンに乗るまで5打も要してトリプルボギーを打ったが相変わらず「観に来てくださる方が面白いなと思ってくださるようなプレーをしたい」と、すぐまた明るく大きな笑顔を取り戻して沸かせ続けた。


隣の兵庫県加東市の出身。
コースに出る前から大応援団に囲まれ、たくさんの昔なじみと再会の挨拶をするときさえ周囲のギャラリーから無数のカメラを向けられ、主催のJGAの動画班も密着していた。

それだけでも意識せざるを得ない状況で、「プレッシャーはなかった」と、言い切る強心臓が武器。

あっぱれな歴史的快挙だった。


昨末にJGAアマ選抜のナショナルチームにメンバ-入りしたものの、金谷拓実や中島啓太ら、「スター選手の陰に隠れて注目もされず、プロになるより就職したほうがいいのかな?」と悩んで、円形脱毛症すら作っていた劣等生が、この1ヶ月でいきなり2勝のスピード出世だ。

「ど根性精神、雑草魂でここまで来られたのかな、と思います。ハッハッハッハ」と、お茶目に高笑い。


小学4年時から掲げる夢は「世界4大メジャー制覇」だが、「ゴルフも気持ちも脂が乗る30歳までは、JGTOを主戦場にする」という。

「プロ転向して優勝すると、よくみなさんPGAツアーに行って世界で戦うというビジョンを言われますけどヤフーの書き込みとか見ますと、日本選手は行ってもすぐダメになって帰ってくるとか書かれている」と、その理由を語る。


「松山さんは、今ではPGAツアーの選手として頑張っておられますけど、僕は日本でいっぱい優勝したり、賞金王を続けて獲ったりしながらスポット参戦で海外に出て、パッと勝てるような選手になってJGTOを盛り上げたい。起爆剤になれれば」。


かつて、ジュニア時代にお父さんに連れられて観戦した日本ツアーは、お客さんで会場が溢れていた。

「JGTOの選手が海外でも互角に戦う姿を見たら、きっとあの選手を見に行きたいと、日本ツアーにも来てくださる。それが僕の目標です。すぐにアメリカに行くよりも、日本ツアーでも学ぶことは一杯ある」。

中島啓太に続いて、蟬川さんのプロ転向ももう間近。
JGA主催のナショナルオープンで、JGTOの救世主がまたひとり誕生した。

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