前日3日目の土曜日が初ブースだった。
本戦ではキャディをしてくれた左腕機能障がいの有迫隆志(ありさこ・たかし)さんが席袖で見守る中、臨んだが「もっとちゃんと喋らんと!」。
有迫さんの厳しいチェックを踏まえて再挑戦の最終日は、「解説の手嶋プロと田中プロが上手く引き出してくださったので」と、一段とトークも滑らか。
「本戦に引き続き、僕らの取り組みを広く知って頂く機会を与えてもらって本当にありがたい」と感謝し、「今回もこうして僕らの活動を取り上げていただくことで、またその分、頑張らなければいけないと、それに見合った生活に改めたり、行動や練習から心構えが変わってまた強くなることができます」と、吉田さん。
中継本番後に麻生健・大会実行委員長にも、この4日間の成果を改めて報告していた。
本大会はパラスポーツを長く支援してきた株式会社麻生の「麻生グループ」が、「プロと障がいを持つ方々との共生」を目指して昨年、発足。
障がい者ゴルファーのみなさんに、開幕前日のプロアマ戦や、2回目の今年はティーチングプロ資格を持つ吉田さんが本戦に初出場など、活躍の場を提供しているが、誰でもにチャンスがあるわけではなく、そのための選考会や、対象試合を設定し、選出している。
「トッププロの方と回れる機会なんて僕ら、めったにあることじゃない。みんななんとか出場したくてもっと上手くなろうと練習するし、本当に良い効果を与えてもらっているんです」と、吉田さんは語る。
今回は、日本障がい者ゴルフオープンの優勝資格で吉田さんが本戦の出場権を獲ったが、開催3回目の来年は、有迫さんが出られるかもしれない。
「狙っています!」と、有迫さん。「そしたら今度は隼人が僕のキャディをしてくれる」と画策したが「・・・それには僕に勝たないといけませんけどね」と、吉田さんはニヤリ。
吉田さんがゴルフを始めたのは、バイク事故で右足を失ってからで、当時は有迫さんのほうがキャリアも実績も、断然上だったそうだ。
「でも、隼人は僕がよそ見をしている間にあっという間に上がっていって、こんな飛ばし屋に成長しちゃった。悔しい・・・」と、有迫さん。
吉田さんは吉田さんで「僕もまた機会があればぜひ出させていただいて、今回予選落ちのリベンジをしなければいけません」と、みすみす権利を譲るつもりはなさそうで、今からバチバチ。
チャレンジド・ゴルフ界でも、金谷と中島のようなライバル関係がある。
「僕も足を失った時に、パラスポーツを見て、足がなくても大丈夫と思えたんです」と、吉田さんは言う。
「今はこうして世界にも挑戦できる立場になって、ワクワクと同時に自覚と責任を感じています」と、話す。
有迫さんも、「こうして僕らが出ることによって、障がいがあるために引きこもってしまったり、悩みを抱えている人たちに、こういう道もあるよと示すことができます。他の誰かの新たな一歩を踏む出すきっかけになれれば嬉しいなと取り組んでいます」と、思いを語り、「これからは、それを未来の子どもたちにも引き継いでいかないといけないね」。
「まだまだ頑張りましょう!」と、吉田さんも深く頷いた。