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〜全英への道〜 ミズノオープンよみうりクラシック 2007

韓国のドンファンがツアー初優勝と初のメジャー切符を獲得

依然として濃い霧が、視界を遮っていた。11時38分に一時競技は中断されたまま、14時ちょうどにそのアナウンスは流れた。
最終ラウンドの中止決定の知らせ。競技は、54ホールに短縮されると告げていた。

たちまちチャンピオンの周りに出来た黒山の人だかり。次々と差し出された右手。
あちこちから声が飛ぶ。
「おめでとう、ドンファン!」。
そのうち、あっという間に大勢の報道陣に取り囲まれて、おびただしいほどのフラッシュを浴びて、誇らしい気持ちで一杯になった。
「言葉にできないくらいに嬉しいです!」。

カメラの前で、そう喜びを語る一方で悔しさが募る。

前日3日目に4打差の単独首位に立ち、そのままさらった20歳と2ヶ月でのツアー初優勝は、同じ4月9日生まれ(1957年)のスペインのセベ・バレステロスが、77年の日本オープンで樹立した20歳と7ヶ月を塗り替えて、プロの最年少優勝記録となる。

「遼くんは15歳で勝ったけど、プロとしては僕が一番若いでしょう?」と胸を張りつつ、納得できない思いが残る。

「やっぱり、きちんと4日間やって勝ちたかった」というのが本音だ。
そのためにこのオフ、スイング改造に着手して、母国韓国のオリンピック代表の元・メンタルコーチにも師事した。
「優勝争いの中で、いかにプレーに集中するか」。それを実践する絶好のチャンスだった。

プレッシャーを乗り越えて、いよいよウィニングパットを決めて、18番グリーンでどんなガッツポーズを作ろうか。
前夜、鏡の前で何度もやってみたりもしたのだ。

そして真っ先に、父・クンチョルさんの元へ駆けつける。

前夜、わざわざ韓国からわざわざ駆けつけてくれた父。
手先が器用で、一度通った道順は絶対に忘れず、空間能力にすぐれた息子の才能を真っ先に見出して、10歳からゴルフスクールに通わせてくれた。

「うちの家系は文科系ばかり。ひとりくらいスポーツ選手にさせてみよう、と」。
そんな父の読みは当っていた。

昨年のルーキーイヤーには、史上最年少の初シード入りに成功した。
そして2年目にはこうして早くもツアー初優勝をあげることができたのは、「お父さんのおかげだ、と」。
シード元年の今季は「息子にとって大切な時期だから」と、会社を4ヶ月も休職してたびたび会場に駆けつけてくれるような父親なのだ。

そんな胸いっぱいの感謝の気持ちを、熱い抱擁で伝えようと思っていたのに、「それができなくて残念でした。だから次は、絶対に4日間で勝ちたい!」と誓う息子のかたわらで、優しい笑みを浮かべたクンチョルさんがそっとつぶやいた。
「でもその分、イギリスに連れて行ってもらえるからね!」。

※「〜全英への道〜 ミズノオープンよみうりクラシック」は最終ラウンドが中止となり、競技は54ホールに短縮されました。これにより、賞金加算は75%となりますが最終日は全組のスタートが終了していたため、ジャパンゴルフツアートーナメント規定により選手には全額が支払われます。

  • あいにくの天候で、優勝インタビューも表彰式もクラブハウスの中。父・クンチョルさん(左)と一緒に会見に臨みながらドンファンの思いは複雑・・・
  • 昨年、全英オープンで5位につけた谷原秀人(=左)からも祝福の握手を

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