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アサヒ緑健よみうり・麻生飯塚メモリアルオープン 2006
市原建彦「きっと2勝目も近い」
表彰式のため、もういちど18番グリーンに戻っても、やっぱりまだ信じられなかった。
「・・・いえいえ、けして喜んでないわけじゃないですが・・・」。
つい淡々としてしまう優勝インタビューで、思わず言い訳していた。
「ほんとうに、とてもとても嬉しいのですが・・・」。
でも、やっぱりあの感動にはかなわない。
今年7月のミズノオープンで自己最高の2位。
その資格で手にした全英オープンの出場権。
初めて踏んだメジャー舞台。
今回、思いがけない勝ち方をしただけに、実感が沸かない今はあの喜びよりはまだ薄いかもしれない。
初日、ロイヤルリバプールの1番ティ。
「涙が出るほどだった」という。
もともと、極度のあがり症が「生まれて初めて味わう緊張感」。
気の遠くなるほどの大ギャラリー、会場を取り巻く独特の空気。
そこに自分が立てた喜びと相まって、「ずっと手が震えてた」。
以来、「もう、あれ以上のものはない、と」。
公私共に、緊張することがなくなった。
「優勝争いをしても、もう大丈夫と思えた」。
あの経験がこの日に生きた。
茨城県の水城高3年の96年、世界ジュニアを制した。
そのころからすでに身長180センチを超え、大型プレーヤーとして将来を嘱望された。
そのあと、名門・日大に入学したものの「刺激がない」とたった3ヶ月で中退。
97年にプロの世界に飛び込み、2000年にはアジアンツアーのタイランドマスターズで優勝するなど活躍を期待されてきたが、「以前の僕は、感性だけに頼って勢いだけで勝った」。
シード権はおろか、ツアーの出場権さえ持てない時期も冷静に自分を見つめなおし、2年前にはプロコーチの井上透氏に師事。
フック一辺倒の球筋からフェードボールへの改造に取り組んだ。
トレーナーの武井壮氏とは、「スイングの感覚的な部分を言葉に直して、100%理解する作業で完璧に自分のものにする」といった、地道な努力を続けてきた。
技術も格段にアップして、その成果が今回の初優勝。
「・・・今の状態のまま、さらにショットの精度を上げていけばきっと2勝目も近い」。
初優勝の感動も味わわないうちに、もう次の目標を見据えていた。