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すし石垣が全英オープンアジア予選で3位タイの好スタート
だから、何でも知っている。
「今年もきっとスタートに、優勝カップが置いてあるよ」。
その言葉どおりに1番ティでは、全英オープンの優勝杯、通称クラレットジャグが燦然と輝いていた。
赤ぶどう酒用の水差しをかたどったとされる真鍮製のそのカップは、シンガポールの青空をくっきりと映し出していた。
これに、メジャーチャンプよろしくキスしてから、このアジア予選をティオフするのが、すしにとっての恒例行事。
もちろん、今年も忘れなかった。
「今年こそ」の思いをこめて、しっかりとその重みを感じながらのプレー。
最終18番で、奥から4メートルのバーディパットをねじこんだ。
力強いガッツポーズが飛び出してホールアウト後には、地元テレビ局からインタビューの要請を受けたすし。
インタビュアーに、懇願した。
「できるだけ優しい単語で、ゆっくりと質問してね!」。
それでも、たびたび受け答えに詰まってしまう。
専属コーチの中井学さんは英語が話せる。だから、見かねてついすしに助け舟を出す。
そのたびに、すしは怒って中井さんを制する。
「自分で答えるからほっといてよ!」。
日本の出場権がない時代、約4年間をアジアンツアーで戦った。
ほとんど人の手を借りず、何でも自分の力でやってきた。
そのスタイルは、今でも変わらない。
もはやトレードマークになりつつある半端丈のゴルフパンツ。
インタビュアーにその意図を聞かれて平然と答えた。
「ディス イズ ア シンガポールスタイル!」。
周囲の笑いを誘ったあと、最後に「何かポーズを作ってみせて」と懇願されて、カメラの前ですしポーズだ。
いつでも、どこでも自然体。
その様子に今週、このアジア予選に合流した武藤俊憲が感心しきってつぶやいた。
「さすがすしさん。この場の空気にもすっかり馴染んで気負いがないね!」。
赤道直下の暑さもものともせずに、5アンダーは3位タイスタートだ。
しかし初年度の2004年。
初日、首位に立ちながら2日目に塚田好宣らほか3人と、出場権が与えられる上位4番目のタイスコアで並んでプレーオフに破れた。
“最後の1席”を、塚田に譲った苦い過去がある。
こういう一発勝負の大会こそ、すべてが終わるまでほんとうに分からない、と身に染みている。
だからたとえ、インタビューを受けるほどの好発進にも浮かれない。
テレビクルーが去ったあと、冷めた口調でポツリと言った。
「別に、まだ行けると決まったわけじゃない。ただ、明日への“お楽しみ券”がもらえただけのこと」。
そのチケットを“有効”にするために・・・。
すしにとって、初のメジャー切符をかけた戦いは、いよいよ翌28日の最終日が本番だ。