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日本ゴルフツアー選手権イーヤマカップ 2001
「明日は、68で回って来い!」
インドのジーブ・ミルカ・シンと通算13アンダーで首位で並んだ3日目の夜10時ごろ。
宮本の携帯電話が鳴った。
師匠と慕う、先輩の芹澤信雄からだった。
「電話の内容は、なんていうか・・・。励まし、とかじゃなく、『明日は、68で回って来い! 16アンダーにしておけば絶対に勝てる』って。それだけ言ってツーツーツー(笑)。わずか30秒くらいの一方的な会話でしたね。・・・でもその短い言葉で逆に、しっかりしろ!って、気合を入れてもらった気がします」
最終日は、朝から、ホウライの森に、突風といってもいいほどの強い風が吹き荒れ、次々と上位がスコアを崩していく。
首位タイでスタートした同組のシン、3位の細川和彦も、苦戦していた。
「僕も、こんな状況で68なんて出せるのかなあ・・・って不安になったけど、それでも今日は、芹澤さんの言葉ばっかりが頭にあった。芹澤さんの言葉を励みにひたすら頑張っていたら、いつのまにか7打差ついてた」
普段は、その芹澤から、言葉だけでなく、技術面でも大きな影響を受ける。
「芹澤さんのアドバイスは絶対。
最近、芹澤さんにスィングが似てきたねってたまに言われるけど、それって、僕にとっては何よりも嬉しい誉め言葉なんです」。
優勝の瞬間、18番グリーンで待っていてくれた藤田寛之も、宮本にとっては「小技がうまくて、見ていてすごく勉強になる人」と大いに刺激を受ける、良き先輩、良きライバル、そして、良き仲間でもある。
藤田の顔を見た途端、思わず涙ぐみ、「ああいうの、いけないですよね」と宮本は照れ、藤田のほうは、
「僕も、初優勝のとき、ホールアウトした直後は“なんてことないじゃん”なんて思っていたのに、18番のそばで待っていてくれた芹澤さんとトメ(宮本の愛称)の姿を見た途端、泣いてしまった思い出があります。あのときは、感動でした。
だから、今日は絶対に、僕がトメを待っていようって思ってた。・・・仲間って、ほんとうにいいモンですね」としみじみ。
固く握り合った手と手。肩を抱きあって18番グリーンをのぼっていく2人の姿は、ホウライの18番グリーンに、さわやかな空気を撒き散らしていた。