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マイナビABCチャンピオンシップ 2014
小田龍一が5年ぶりのツアー2勝目【インタビュー動画】
真摯な祈りがゴルフの神様にも届いた。会場のABCゴルフ俱楽部は、17番ホール奥に鎮座する祠。コースの守り本尊に今年も、火曜日に手を合わせて、「孔明もいいですが、龍一もたまには応援してください」。練習日に入れたお賽銭の150円が、みごと優勝賞金3000万円に大化けした。
大混戦の最終日は、「谷原が、凄く良いゴルフでどこまでもついてきた」と、終盤は両者一歩も譲らぬ一騎打ち。14番では互いにピンそばのバーディでにらみあい、次のパー5で段下8メートルのイーグルも、ほぼ同じ距離をすぐにあっさりと入れ返された。
谷原のあまりのしぶとさに、最初目安にしていた通算18アンダーではもはや勝てないと察した。火がついた。「気を緩めずに行くしかない」。16番のパー3は、のぼりの3メートルも夢中で入れた。「いまいくつで回っているかも分からなくなった」。ゾーンに入った。谷原に4打の大差をつけて迎えた18番も、勢いは止まらなかった。
左ラフの斜面から、池越えの2打目も「ここで逃げたら男じゃない」と果敢に、奥のバンカーに打ち込んだ3打目も、池に向かって勇敢に、ピンそば1.5メートルにぴたりとつけて、「最後はおまけ」と鮮やかなバーディ締めに、きょろきょろ探す。
9つも下の師匠の姿。「龍、・・・龍!」と、いつにない優しい声のするほうへ駆け寄った。池田勇太にがっしりと抱きしめられて「ウルっと来た」。
ショットのイップスにかかって賞金シード落ちを喫した昨年は特に励まし、カツを入れ続けてくれた「池田先生」。9月には池田の見立ててで、「僕はまったくの“音痴”で」と、今までちぐはぐだったことにすら気付かずにいたクラブ調整もバチっと合って、あとは「どんな状況でも欲をかかずに、いかに目の前の1打に集中出来るか」。
やっと先生の前で、与えられた課題も克服して満点のゴルフができた。「今までにも何度か、こうして応援に来てもらっていたのに裏切り続けていたから。やっと最終ホールで勇太に会えた」と、この日はボギーなしの62で報いた。
昨年は、副鼻腔炎など度重なるケガと、4月には父・修さんの訃報が重なり、心配をかけた。父亡き後しばらくは「コースに立っていても泣けてくる」と、ふさぎ込みがちな夫のかたわらに、寄り添い続けた妻。
ツアー初優勝をあげた2009年の日本オープンは最終日の8番で、林に打ち込んだティショットが偶然、その肩に当たって、フェアウェイまで出てきた奇跡。今も語り草である。
あのとき石川遼と今野康晴と3人のプレーオフの末に手にした5年シードも今年で最終年を迎えて、崖っぷちの今季も変わらず毎日、夫の18ホールについて歩いた優子さん。
「今年、シード落ちをしたらもう二度と、ツアーには戻ってこられないかもしれない」とまで思い詰めた夫の弱音も、笑って受け止めてくれる。「俺なんかと違って凄くプラス思考で。俺が落ち込んでても“大丈夫だよ”って。“なんなら変わってあげようか”って。“私がプロになれば良かったね”って。冗談を言って励ましてくれるから。気持ち的に、凄く助かる」。
小田は小田でも孔明は、まったくの下戸だが、こちらは底なしの酒豪で、普段はじれったいくらい控えめなのに、酔うと先輩プロを呼び捨てにしたり、大御所にくだを巻いたり。酒席の失敗は数知れず、「1日3杯まで」と、きつく言われるのも、夫を思えばこそ。
しっかり者の妻も5年ぶりの優勝には、夫から手渡されたウィニングボールをしっかりと胸にいだいて「嬉しくて、言葉にならない」と目を真っ赤にして泣いていた。
「昨日もジョッキ3杯にしてもらいましたけど、今日は思いっきり吞ませてあげたい」。
孔明が、賞金争いを繰り広げる真っ只中で龍一が、久々の美酒を存分に味わった。同じ九州出身でも、こちらは鹿児島。「スゴい」という意味の方言で、「わっぜか嬉しい!」。喜びの第一声も、享年66歳でこの世を去った、地元で吉報を待つ亡き父の墓前に届くといい。