Tournament article

日本ゴルフツアー選手権 Citibank Cup Shishido Hills 2010

宮本勝昌が2期連続の会長職で得たものとは

特別協賛の森ビル株式会社の森稔・代表取締役社長から受けたチャンピオンブレザー
最終日に駆け付けたギャラリーは、大会史上最多の1万3956人。この日は、日没サスペンデッドとなっていた前日3日目の第3ラウンドの残りホールを消化するため6時15分より、競技は再開されたが、早朝からすでに、18番のギャラリースタンドは満員御礼。

しかも時間を追うごとに、その数は増えるばかりで、特にリーダーの宮本勝昌は計22ホールの長丁場にも、途中で席を立つ人もいない。

続く最終ラウンドは、石川遼と組が離れても、宮本について歩くギャラリーの数はいっこうに減らず、それだけになおいっそうのこと、有り難みが身に染みた。

特に終盤。1日3つのダブルボギーに最初にあった大量リードもみるみる差を詰められて、「最後はまるでマラソン選手みたい。足ももつれてフラフラで・・・」。
そんな宮本にかけられた声も、「ゴルフじゃなくて、ゴール間近のフルマラソンみたいで」。
経験したことはもちろんないが、42.195キロは沿道からの応援も、きっとこんな感じだろうと思う。

「あと少しだ!」「負けるな」「頑張れ〜!!」

そんな熱い声援を力に変えて、「苦しかったけど、死ぬ思いで完走することが出来ました」と、心から感謝した。

昨年まで2期連続の会長職は、確かに練習時間すら削られた。
その間、勝ち星にも見放されたが、人として成長するために、必要な苦労だったと宮本は感じている。

慣れないスーツ姿で政財界をまわり、さまざまな地位の方々と交流するうちに、悟った。「俺は、しょせんただのプロゴルファーだ」。
自分を客観的に見られるようになったことで、ひとつひとつの行動にもいっそう責任を持つようになり、多少のミスも冷静に対処出来たり、「ゴルフにも落ち着いて、取り組めるようになった」という。

そして、人と人のつながりも。
このツアープレーヤーNO.1決定戦は、99年の日本ゴルフツアー機構の発足と同時に誕生した「僕ら、選手たちの大会」だ。
しかし、それだって自分たちの力だけではどうにもなるはずがなかった。

開催当初から、特別協賛としてお世話になっている森ビル株式会社も、今年からタイトルスポンサーをかって出てくださったシティバンク銀行株式会社も、毎年大会に協力してくださっているボランティアのみなさんも、開催コースの宍戸ヒルズカントリークラブのみなさんも。どれひとつとして欠けても感動のゲームは実現出来ない。

コース管理のみなさんは前日3日目の悪天候に、この日最終日は早朝3時から来て、整備をしてくださったと聞いている。
ボランティアのみなさんのご苦労も、また然りだ。

それでも、悪天候による不測の事態も文句ひとつ言わないで、無償の労力を惜しげもなく提供してくださった。
「大会をこうして成功裏に終えることが出来たのは、みなさんの力があったからこそ。いくらお礼を言っても足りません」と、全選手を代表して何度も深く腰を折ったチャンピオン。

2期連続の選手会長をつとめたことで培ったのは、何より支えてくださる方々の、善意を汲み取る心だった。
今大会は2001年以来、2度目のタイトルは、あれから10年近くが経って、その間に二児の父親となり、プロゴルファーである前にまず一人の人間として、世間に揉まれるうちに獲得した心の成長あってこそだった。

今年11回目を迎えました「日本ゴルフツアー選手権 シティバンク カップ 宍戸ヒルズ」は初日から、毎日史上最多のギャラリー数を記録。合計3万2360人は、史上初の“3万人超え”を達成しました。ご来場くださったみなさま、最後まで大会を盛り上げてくださって、本当にありがとうございました!!



  • 今年からタイトルスポンサーのシティグループ・ジャパン・ホールディングス(株)のダレン・バックリー代表取締役社長と
  • 最終日は早朝よりご協力いただいたボランティアのみなさんにも溢れんばかりの感謝の気持ちを
  • 表彰式後のボランティアパーティでもマイクを握り、何度も頭を下げたチャンピオン
  • 昨年の選手会長はこの日、宮本の組を担当してくださった移動式スコアボードとスコアマーカーさんへのご挨拶も忘れなかった

関連記事