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日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ Shishido Hills 2017

元スキーヤー! 遠藤彰が初の首位発進

胸のロゴは、コメクエスト。山形県出身だから「米食え」というわけではなく、北海道のスキーウェアメーカー名であり、イタリア語で「これいかに?」といった意味だそうだ。

481ヤードの池越えの17番は、最難関のパー4で5アンダーにして、一度は単独首位に立った。フェアウェイから200ヤードの2打目は、アゲンストの中で4番アイアンを握り、50センチにつけた。
大混戦から一歩抜け出すと、次ホールではカメラマンが大挙して押し寄せ「力が入った」。
ただでさえ、難しい宍戸。
最後の18番は、ティショットを左に曲げた。

2打目は「フックをかけて出来るだけ近くまで持っていきたかったが、失敗してまたラフに入った」。
4打目にやっと3メートルに乗せたボギーパットをなんとか沈めて結局4アンダーは、2006年の「サン・クロレラ クラシック」と16年の「RIZAP KBCオーガスタ」に続く、初日首位タイの最多人数となる8人の中に埋もれはしたが、「大満足です」。

昨年のファイナルQTは36位。プレーオフで今季前半期の出場権が得られるトップ35位にあと一歩で入り損ねて、今年これがツアー初戦でいきなりの好発進。難コースで「アンダーパーなんて、とんでもないですよ」と、本人が一番驚く。
主戦場のチャレンジトーナメントで左手首を痛めたばかり。「力を入れずにやろうとしたのが良くて、ケガの功名」。19歳からゴルフ界に身を投じたのもやはりケガの功名。
3歳から始めたアルペンスキーの延長で「ゴルフもかなり足を使ってやるタイプ。膝の動きに共通するものがある」。

プロスキーヤーを目指して単身カナダに渡ったのは15歳のときだった。「皆川賢太郎さんに憧れた」。しかし練習中に、激しく転倒。靱帯を損傷した。
「リハビリがてら」に始めたのがゴルフだ。
ケガは治っても、スキーのタイムは伸び悩んだ。
「転んだときのフラッシュバックが影響したかもしれない」。夢を断ち、今度はゴルフでプロを目指した。
ダム造成のアルバイトで食いつなぎ、栃木県のましこゴルフ俱楽部の研修生になった。
「スキーより楽だろう、と。甘い気持ちだった」。

プロ12年目を経てシード権も、出場権もままならずに38歳の今もまだ道半ば。
プロ転向時は、タイガー・ウッズの全盛期で「凄い世界に入ったなと思った」。
いつか世界でやろうなどという野望もなく「日本でもなかなか出られないのに、自分のレベルでは厳しい」。
初日の首位タイ発進にも「そんなに甘くない」と、慎重に「明日もまた、落ち着いて出来ればいいと思う」。
2日以降の宍戸はこれいかに?! 
それでも直滑降ほどの怖さはないはずだ。

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