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パナソニックオープンゴルフチャンピオンシップ 2024

「勝っちゃった」から「狙って勝てた」へ。平田憲聖が有言実行Vでもたらしたもの

地元Vで今季4勝を飾るちょうど1年前。
平田憲聖(ひらた・けんせい)は、昨年大会の開幕前日に、クラブハウスに飾られたV副賞「パナソニック製品一式」のサンプルを物色していた。

その年、初優勝から2勝目を挙げた際、「賞金でお母さんに買ってあげたい」と、話していた乾燥機も、当時の賞品にラインナップしていた。

「これがいい」と、目が輝いた。

転戦中は、買い物に付き合えない。
「好きなのを買って」と、お母さんにいくら言ってもいっこうに行こうとしない…などとこぼしながら、平田は「優勝したら、これをプレゼントできますね」と照準を合わせたが、昨年大会は26位タイに終わっていた。

「去年も確かそんな話をしましたので。1年越しに実現できて嬉しいですね」と、ニッコリする。



    今回は、乾燥機はなかったが、冷蔵庫やオーブンなど喜んでもらえそうなものばかり。
    「いや、もうありたがいですぅ~」と、お母さんも会場で感激していた。

    昨年5月に契約先ミズノの「ミズノオープン」で初優勝を飾った際は、「勝っちゃった、という感じでした」と無欲のホストVだった。
    「でも今回は、いつも応援してくださる地元の方々の前で絶対に勝ちたかったので。今週は開催前から優勝だけ見て入りました」という有言実行の地元Vだ。




        5月の「関西オープン」も並々ならぬ思いがあったが5位で負け、「あの憲聖(けんせい)が…?」と、周囲も驚くほど悔しさをあらわにしていた。
        「狙って勝つというのはなかなかできることではないので、とても嬉しく思います」と、4か月前の雪辱を喜ぶ。

        「100点。あれは十分すぎるほど完璧に打てた」と、自賛した最難関の14番パー3でのティショットが勝利の決定打。
        4Iで1.5メートルに絡めて3打のリードを確実なものにしたとき、隣でひそかに「勝った」と確信したという重友キャディは、実は初日に熱中症にかかって“棄権”寸前だった。

        平田のトレーナーさんの献身看護で翌日には回復でき、共にVロードを歩きとおせて「本当に良かった」と、安堵する。
        大阪学院大のひとつ先輩で、自身もツアープロを目指しているという重友キャディは「きょう1日、普段と何も変わらい。本当にすごかった」と改めて、平田の心の強さに感銘を受けていた。



          今月の「Shinhan Donghae Open」で達成した2週連続Vによる“通算5勝”に続いて、通算6勝での“年間4勝目”もまた、石川と松山に次ぐ3番目の年少記録だ(※)。

          今季1勝目の「長嶋茂雄INVITATIONALセガサミーカップ」に続いて、また石川の祝福を受けた。
          今度は、お水もかけられた。
          「何回もお祝いしてもらって感慨深い気持ちです」と、またまたひとしおだ。


            大会主催のパナソニックも、契約先ミズノも地元大阪が発祥の会社。

            ミズノの女部田(おなぶた)さんは先週末、平田から「ウェッジが飛ばない」との相談を受けて、きゅうきょ対応。
            「バンスを2度ほどつけることで対処しました」と、平田に渡すと一発で解決した。

            「そのウェッジを持ったときのバーディ率が7割くらい。タテ距離が合うようになって、変えてもらってよかったな」と、恩人に大会記録の25アンダーVを献上。地元で直接感謝を伝えた。

            今季2勝目のフジサンケイクラシックに続いて同4勝目もまた雨だった。
            お母さんの勝美さんによると、ジュニアのころから雨の試合が多かったという。
            「あの頃はセルフバックでね。かわいそうやなあ、と思うんですけど本人は嫌ともいわず。頼もしいなあ、と思いながら…」と、遠い目をしたお母さん。

            家族も認める雨男は、2001年10月の伊澤利光に次ぐ23年ぶりの“月間3勝”で、獲得賞金1億円を突破した。
            「ここまで来たら意識しないほうがおかしい」と観念し、優勝スピーチでも「賞金王を狙います」と明言した。

            こちらもまた近しい人たちを驚かしたことのひとつだ。
            「あんなこと、人前で言う子やなかったのに…」と、目を丸くしたのはジュニア時代に地元で平田を指導した川西直樹プロ。

            「そうやって変わっていくんやね」と、教え子の成長をかみしめていた。

            このまま戴冠ならミズノ勢では82年、83年、85年と86年の中嶋常幸(当時)以来2人目の偉業だ。「…って、まだ気が早いですよね」と、同社の女部田さんは慌てていたが、若くして年間4勝を飾った石川も松山もまたその年、そのまま王座に就いている。



              ⛳通算5勝の年少記録
              ①石川遼(17歳354日)
              ②松山英樹(21歳279日)
              ③平田憲聖(23歳287日)

              ⛳年間4勝の年少記録
              ①石川遼(18歳17日)
              ②松山英樹(21歳279日)
              ③平田憲聖(23歳301日)

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