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ジーン・サラゼン ジュンクラシック 1999

本大会名誉会長 故ジーン・サラゼンを偲んで/戸張捷トーナメントプロデューサー

ジーン・サラゼン ジュンクラシック トーナメントプロデューサー 戸張捷
 去る5月13日、本大会名誉会長のジーン・サラゼンさんが、肺炎による合併症のために他界しました。97歳の大往生でした。氏の葬儀はフロリダのサンマルコ・カソリック教会で執り行われ、1,000人以上の参列者が集まりました。

 ヒッコリーシャフトの時代から、ウォルター・へーゲン、ボビー・ジョーンズ、ベン・ホーガンらと共に戦い、計り知れない功績をゴルフ界に残してきた氏は、まさにゴルフの歴史そのもの。その氏がくしくも1990年代になくなったことは、20世紀の終焉を感じずにはいられません。

 マスターズの名誉スターターを毎年務め、亡くなる6週間前の今年の大会でも、大勢のギャラリーが見守る中、見事にフェアウェーを捕らえるショットを披露したばかりでした

。 長年患っていた関節炎が悪化し、クラブを握ることもままならない状態でこの大役を務めていくことは、氏にとって決して楽なことではありませんでしたが、それでも毎年フェアウェーをキープし続けてきたことは、さすがといわざるを得ません。

 氏は、ジーン・サラゼン ジュンクラシック大会名誉会長として、1977年から90年まで毎年、トーナメントを訪れ、日本のプレーヤー達を温かく見守り続けてくれました。本大会が、今日のような姿に成長できたのも、ひとえに氏の指導があったおかげです。大会会場であるジュンクラシック・カントリークラブ、ならびにロペ倶楽部は、氏のアドバイスによってさまざまな改良が加えられてきました。今年の会場となるジュンクラシック・カントリークラブにおいては、特に16番ホールのバンカーや18番ホールのグリーン回りに氏の影響が色濃く残っています。

 氏が来日した際には、夜になるとコース内レストラン「ベビーフェイス」でワインとスパゲッティーを口にしながら、私たちにいろいろなゴルフの話しを聞かせてくれたことがまるで昨日のことのように思い出されます。ジュンクラシック・カントリークラブとロペ倶楽部にある、サラゼン・ハウスは主を失ってしまいましたが、それでもこのトーナメント、そしてこの2つのコースが存在するかぎり、私たちはジーン・サラゼンという偉大なゴルファーを永遠に感じ続けることができるのです。

 日本人選手がメジャーで優勝する日を心待ちにしていたのは、他でもない氏でした。私たちはその思いに報いるためにも、近い将来日本人プレーヤーがメジャー優勝できるよう、日本ツアーをよりいっそう盛り上げていかなければならないと、改めて肝に銘じる必要があるのではないでしょうか。

★ジーン・サラゼン略歴(1902年〜1999年)
全米プロ 3勝(1922、23、33)
全米オープン 2勝(1922、32)
全英オープン 1勝(1932)
マスターズ 1勝(1935)
※サンドウェッヂの発明(1931)
 プロとして史上初のグランドスラム達成(1935)