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サントリーオープン 2000
「中断のおかげ」
前日の第1ラウンド、羽野は5番パー4で2メートルのバーディパットを残したところで雷による競技中断にあった。
翌2日目は、その残りホールを消化するため3時30分起き。
車中で食事をとり、5時にコースへ到着。練習場がオープンすると当時に、ウォーミングアップに入った。
そこで開眼だ。
「前日からパットが悪くて悩んでいたんです。それで、昨日のことを反省しながら練習していたら、もしかしたら左手のグリップがゆるくて、そのせいできちんとストロークできていないのが原因で、ラインに乗っていないんじゃないかな、と気付いたんです」
途端にタッチがスムーズになったことを実感した。
流れが途切れてからの、2メートルのバーディパットは「嫌なもの」。
だが、自信を取り戻したおかげで、競技再開ホールはバーディ発進。7番、9番ではいずれも5メートル前後のバーディパットも決めて、再開前は1オーバーだったスコアを、一挙に2アンダーまで伸ばし、“第1ラウンド”をひとまず終了した。
「この3つのバーディがすっごく効きました」と羽野。
続いて、8時50分からスタートした“第2ラウンド”もパットが面白いように決まり、ノーボギーの67でまわって通算6アンダー、5位タイで決勝ラウンド進出だ。
「サスペンデッドになって早起きするのはつらいなって思ってましたけど、今は雷のおかげだなって思ってますよ」
13位タイに終わった前回出場の久光製薬KBCオーガスタは、地元・福岡県の大会だった。
同郷の手嶋多一、野上貴夫、藤田寛之とともに、自身も地元新聞に大きく取りあげられ、「大した成績もあげてないのに…って、引け目を感じた」という。
しかも3日目は、普段、練習を一緒にしている藤田とのラウンドで、スコアを伸ばせずまごつく羽野を尻目に、藤田には、67でまわってぶっちぎられた。
「本当に、負けてはいられないって思いました」
いつも、いい位置につけても、「3、4日目にスコアが出ずに、終わってしまう」という。それも、「すべてパットが原因」だった。
初日の競技中断で思わぬ収穫を得て、不安も解消されたのだから、残り2日は自信をもってのぞみたいところだ。
★ 羽野隆則
福岡県出身。17歳のとき、たまたま市内の自宅近く練習場のアルバイトをしたのをきっかけに、ゴルフを始めた。高校卒業後、神奈川県の芙蓉CCの研修生に。1987年にプロ転向、チャレンジツアーの後楽園カップ(97年)で優勝経験がある。今季は、QTランク38位の資格で出場。
普段は、芹澤信雄を中心に、宮本勝昌、藤田寛之らと行動を共にする。35歳。