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日本ゴルフツアー選手権イーヤマカップ 2002

「日本から、世界に通用する選手の育成を−」との熱い思いを胸にフェアウェーを駆ける。ジャパンゴルフツアーのフィールドを支える専門競技委員(ルールズ)6人一挙紹介★ 藤崎茂夫

 目下の悩みは、「食べ過ぎてしまうこと!」と、以前よりも目立つ腹をさすって、藤崎は笑った。
 いつもきびきび、明るい笑顔で、コースを駆ける。
 「選手が、ギャラリーのみなさんが感動してくれるフィールド作りに力を尽くしたい」と、妻と子供2人と離れ、単身の遠征生活。
 そんな、日々の楽しみは、他の競技委員仲間たちと繰り出す、夜の食事だ。
 「1日中フィールドを動き回ったあとの食事はまた最高なんですよ。楽しい仲間と一緒だし、ついつい…ね(苦笑)」

 日本ゴルフツアー機構が、競技委員を募集していることを知ったのは、99年。同機構が、発足した年のことだった。
 それまで、レッスンプロとして14年間つとめていたゴルフ場で、生徒たちと遭遇したさまざまなルーリングはそのほとんどが、複雑な情況が絡み合って、裁定集をひもといてもすぐには解明できないものばかりだった。
 「いつか、しかるべきところで明確な回答を出してみたい」と常日頃から考えていた藤崎は、この機会に、迷わず競技委員の道を目指し、筆記・面接試験をパス。晴れて採用の通知を受けとった。
 あれから3年。
 「今でも、ルーリングに悩まされない日はない」と話す。
 また、「その悩みは、年々、減るどころか、深まる一方で…」とも。状況判断の難しいルーリングにぶち当たれば、その日夜の食事は、即、ルール研究会の場となる。
 そして、互いの意見交換が佳境を迎えると、知らず知らずのうちに食事量も増えてしまう、というわけだ。
 「“夜の研究会”も、考えものですね(笑)」

 “夜の研究会”がどんなに長引いても、翌早朝はまた元気に、藤崎はコースに駆け出していく。コース点検は、スタート時間の2時間前から。カップの位置、ティマークの位置、バンカーの情況…まだ誰もいないフィールドを、ひとり黙々とチェックに励む。この静かな時間が、藤崎にとって至福の瞬間だ。
 だがある大会で、こんなことがあった。
 「僕が点検を終わらないうちに、すでにお客さんが来場されて。そんなにも早い時間からスタンドの席取りをされていたんですよ」
 その日は、最終日。時間を追うごとにその人数は増え、チャンピオンが決まるころには、18番スタンドには収まりきれないほどの大ギャラリーで溢れかえっていた。
 「自分も、こんなすばらしい大会を支えているスタッフのひとりなんだ…と思うと、感動で胸が詰まりました」
 そのとき藤崎は、「僕らの力で、日本ツアーを、世界レベルまで引き上げる」と、そっと胸に誓ったのだった。