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日本ゴルフツアー選手権イーヤマカップ 2002

★ 加納実智雄

 加納がゴルフの道を志したのは、16歳のとき。
 アルバイトで働いていた習志野CC(千葉県)で、たまたま、デビューしたての尾崎直道のバッグを運んだのがきっかけだった。
 そのころ、すでにゴルフ界に君臨していたジャンボ尾崎の末弟のゴルフを間近にして「スッゲェーな、俺も」と、刺激を受けた加納は、いつの日か、自分もトーナメントで戦う夢を胸に、ゴルフに没頭した。

 研修生時代は、栃木のゴルフ場でキャディマスターをつとめながら、腕を磨いた加納だったが、元来の「小心者で、プレッシャーに弱い」性格が、夢のさまたげとなった。肝心なときにビビってしまい、力が出しきれないのだ。
 また、身長163センチと、スポーツ選手としては体格に恵まれず、それでも、小さな体を目一杯使ったフルスウィングがたたっただろう。次第に、背中に電気が走ったような痛みを感じるようになった。
 そしてついに、30歳間近に迎えた頃には、その痛みは慢性的なものとなってしまい、とうとう芽が出ないまま、選手への道を断念した経緯がある。
 そんな過去が、現在の加納の原動力だ。
 自分が、夢を果たせなかった分、「今でも、憧れの存在」という“ツアープレーヤー”たちへの、思いは熱い。
 「彼らが、思い存分に戦える最高の舞台を作りたい…」選手から競技委員への転身で、加納には、新たな夢が芽生えたのだ。

 毎週、加納たち競技委員が力を合わせ、精一杯に心を尽くしてセッティングしたフィールドで繰り広げられる、V争い。
 「その中から、たったひとりのチャンピオンが誕生する瞬間は、毎週、ものすごい感動なんです」と加納は言う。

 そんな加納の胸に、もっとも染み込んでいる“感動シーン”は、昨年8月。久光製薬KBCオーガスタで平石武則が、ツアー19年ぶりの初優勝を挙げたときだった。プレーオフ5ホールの激闘を制した41歳の男泣きには、加納も我知らず、もらい泣きしていた。
 苦労を乗り越え、目標を達成した平石に、共感せずにはいられなかったのだ。

 「若い選手の初優勝の瞬間も、フレッシュで良いのですが、苦労人がやっと花咲いたというあの感じ、平石さんの喜びがしみじみと伝わってきて、18番に詰め掛けた大勢のファンのみなさんと一緒になって、僕も心から、平石さんを祝福したものでした」

 もっとも、その一方で、昨年のワールドカップ、18番で奇跡のチップインイーグルを決めたタイガー・ウッズのように、世界中を感動の渦に巻き込む、華やかなシーンにも憧れる。
 「できるだけ早く、タイガーのような選手を日本から誕生させたい。世界に通じる感動を、日本ツアーから発信できたら…」
 そう願うたび、「自分たち競技委員も、よりいっそうの勉強が必要だ」と、加納は、気を引き締めなおすのだという。