Tournament article
ウッドワンオープン広島ゴルフトーナメント 2003
ウッドワンオープン広島の大会初日地元・広島県出身の倉本昌弘が単独トップ
アマチュア時代にほとんどのタイトルを取り尽くし、81年に鮮烈デビュー。以後、常にトップクラスを走りつづけた倉本のゴルフに翳りが見え始めたのは、97年以降だ。ツアー通算28勝で永久シード権は保持しているものの、賞金ランクによるシードでは出たり入ったりを繰り返してきた。2000年に心臓弁膜症という重い病いに倒れたこともあるが、それ以上にプレーに大きく影響を与えたのは「メンタル面だった」(倉本)。
全盛期は、ほとんど素振りもせずに構えたらすぐ打つ。「その間、3秒」とまで言われたスピード感のある切れ味鋭いショットで、勝ち星を重ねた。
「3秒・・・いや、1秒で打った時期もあるかもしれない(苦笑)。若いころはそんな落ち着きのないスイングでも、充分に良いプレーができていたんですよね」。
そんなスイングに限界を感じ始めたのは40歳を超えたころからだった。速いタイミングに体が対応しきれない。「それで、つまらないミスを連発した。そしてそんな自分に自分で耐えきれず、ますますスイングを悪くして悪循環。アマチュアのビギナーに近いゴルフをしていたころもありました」と倉本は振り返る。
打開策も見当たらないまま、ついに99年の日本プロでは、14番ホールで8発OBという失態もおかした。
最初、ドライバーから始まったショットのイップスは、安全策でティショットにスプーンを握ったときでも顔を覗かせるようになり、恐くてクラブが振れなくなっていた。
「恐いから振れない。振れないから曲がる・・・。とうとう9アイアンでのティショットでも、OBを打つようになり、どうしようもなくなってしまった状態だったんです」。
しかし、そんな状況に陥ってもなお、このスイングで通算28勝をあげてきた、という自負はなかなか捨てきれるものではなかった。
「このスイングであんなことも出来た、こんなことも出来た、と現時点の自分の状況を認めず、過去の栄光にしがみついてきた」。とにかく思い切って振っていけばいい、と思う以外、スイング中には何も考えられず「バックスイングを取った途端に、意識が飛んでいたこともあった」と倉本はいう。
賞金ランク102位で、2000年に続きツアー人生4度目のシード落ちをした昨シーズン。倉本はこのオフ、改めてゴルフとメンタル面を見直すことにした。自分のスイングと、心とじっくりと向き合い、「もっと落ち着いて振っていこう」と決めた。それまではほとんど意識することもなかった“ルーティン”をしっかりと守って、ショット全体のバランスを意識しながら振る。ゆったりとしたスイング。「それでも速い、と言われてしまいそうだけど(笑)いま、僕の中では、当時からは考えられないくらい、かなりゆっくり振っているんですよ。おかげで、また昔の良い感覚を思い出してきました」
この日初日は9バーディ(2ボギー)の65。96年の東海クラシック2日目以来の単独首位。
この好スタートに、95年サントリーオープン以来の復活優勝の期待も高まるが、これまで7年余りも悩み逡巡を続けてきたという事実が、47歳を謙虚にさせる。その年齢なりのスイングに「目覚めて」(倉本)まだわずか6ヶ月。
「だから今週いきなり優勝、・・・なんて大それたことは考えてない。ただ、こうして過去の栄光を捨て、今は今のスイングでやっていくという覚悟をつけて、若い子たちにまじってじっくりと訓練と優勝を争いを続けた末に、ようやく勝てるものなんじゃないかなあ。・・・去年の中嶋さんのように、ね」。自らに諭すように話した。
写真=日大進学と同時に、東京に拠点を置いて転戦を続けてきた倉本だったが、広島市内で老舗料亭を経営してきた父・清治さん、76歳が脳梗塞で倒れられたのをきっかけに、昨年2月に介護のため故郷に戻ってきた。今週は、コースから40分の自宅通勤。地元・プレーヤーとして、この“八本松”を歩く。