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日本ゴルフツアー選手権 宍戸ヒルズカップ 2004

第4回JGTO日本ゴルフトーナメント功労賞授賞式の風景

写真=左から陳氏と、受賞者のお2人に記念の盾と純金製のメダルを贈ったJGTO理事 長の島田幸作と、戸田藤一郎氏の長女・森川和子さん
夕暮れ迫る宍戸の18番グリーン。“鬼のトイチ”にかわって表彰式に立たれた長女・ 森川和子さんは、感極まって涙。
陳氏は、はるか現役時代に思いをはせた。
「こんな立派な賞をいただいて・・・天国の父も、喜んでいると思います」(和子さ ん)。
「こうしてファンのみなさんに囲まれて表彰を受けていますと、試合に出ていたころ のことを思い出します・・・。本当に嬉しい。ありがとうございます!」(陳氏)。
この日3日目の競技終了に行われた『JGTOゴルフトーナメント功労賞受賞式』。今年 の受賞者は、1939年に前人未到のグランドスラムを成し遂げた亡き戸田藤一郎氏と、 のちに“陳清波打法”と呼ばれたいわれるダウンブロー理論を広く日本に知らしめた 陳清波氏だった。
粋なチェックのジャケット姿に、襟元にはおしゃれなピンブローチ。りんと背を伸ば した姿勢でマイクの前に立たれた陳氏の第一声は、「僕が台湾出身ですが、ゴルフの ルーツは日本です」。
同郷の師匠・陳清水氏は、浅見緑蔵氏、安田幸吉氏の弟子だった。その清水氏にゴル フを仕込まれたあと、陳氏は1959年(昭和34年)に来日。静岡県の川奈、東京ゴルフ 倶楽部など名門コースで腕を磨いた。
「それから、プロとしての姿勢は宮本留吉さん、中村寅吉さんらたくさんの大先輩か ら学びました。だから僕のゴルフのルーツは、日本なのです・・・」。
今でもはっきりと覚えている。来日2ヵ月後に出場した1959年の日本オープン。最終 日は、陳氏の上に18人以上も選手がいた。「勝てるわけもない」そう思ってスタート した1番で、「25歩」のバーディパットを入れた。
2番では9メートル。「良いムードになってきた」と、すっかり波に乗った陳氏は、13 番パー4では「30歩」のバーディを入れた。
続く14番では、あまりに長かったので30歩まで来たところで歩測をやめてしまった が、「残りもうあと30歩はあった」という超ロングパットをねじこみ最終ホールの バーディで、島村祐正プロに追いついた。そして翌日のプレーオフで日本ツアー初優 勝。
「一生懸命にやってもうまくいかないことのほうが多いのに・・・。この試合で、ゴル フの不思議さと奥深さを思い知らされました」と、遠い目をした。
ワンピースの美しいスウィングと“陳清波打法”といわれるダウンブロー理論は、72 歳を迎えられたいまでもプロアマ問わずファンが多い。加えて、紳士的で常におだや かな人柄は、人々の心をひきつけてやまない。
「こうして、日本の人々に自分の技を伝授できたことはプロとして幸せなこと。おま けにこんな賞までいただけて本当に嬉しい。幸せです!」と、しみじみと振り返った 陳氏。
「飛ぶボール、飛ぶクラブでただ球を高く上げるだけでなく、障害物や風の下をぬっ ていくような、低いショットも覚えてください。そうすれば、世界で通用する日本人 選手はもっと増えます。丸山君だけでは、その荷はあまりにも重すぎる。球を上げな い技術を学び、コースマネジメントをもっと研究し、もっともっと世界へ飛び出して いってください」。
若手選手らにそんなメッセージを残し、陳氏は宍戸の森を後にされた。

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