Tournament article

日本ゴルフツアー選手権 宍戸ヒルズカップ 2004

前人未到の“年間グランドスラマー”戸田藤一郎氏と、ワンピースの美しいスウィン グ、ダウンブローの“陳清波打法”の陳清波氏

授賞式会場となった宍戸の18番グリーンから、大勢のファンに見送られながら 退場する陳氏(中央)
“トイチ”の愛称で親しまれ、“鬼才”と呼ぶにふさわしい華麗なる戦歴を誇る戸田氏。そのハイライトは1939年(昭和14年)に成し遂げた前人未到の『年間グランドスラム』でした。

関西オープン、関西プロを制し、ホームコースだった廣野GCで行なわれた日本オープンでは2位に5打差をつける圧勝。そして迎えた10月の日本プロで先輩・宮本留吉氏を激闘の末3アンド2で下し、年間グランドスラムを達成しました。

その後もリストを利かせたパンチショットを駆使してトッププロの座に君臨。1963年(昭和38年)には25年ぶりに、2度目の日本オープン優勝を飾りましたが、このときの年齢が49歳。さらに1971年(昭和46年)の関西プロでは現在の最年長優勝記録でもある56歳9ヶ月で制するなど、長きにわたって活躍され、1984年7月11日に70歳で亡くなられた今でも、伝説として語り継がれている選手のひとりです。

戸田藤一郎氏の戦歴(1914〜1984年)

日本オープン2勝('39、'63)
日本プロ4勝('35、'38、'39、'40)
関西オープン4勝('33、'38、'39、'49)
関西プロ7勝('34、'36、'38、'39、'40、'69、'71)

美しいワンピーススイングと、ダウンブロー理論の陳清波氏は、プロアマ問わず今でもゴルファーのお手本

ワンピースの美しいスウィング、“陳清波打法”といわれるダウンブロー理論、そして紳士的な人柄で今でも広くプロとアマチュアに影響を与えているのが陳清波氏です。1959年(昭和34年)に台湾から来日。東京GCに入社すると、その2ヵ月後に行なわれた日本オープンで島村祐正プロをプレーオフで破って華々しい日本デビューを飾りました。その後も関東オープン、関東プロ、日本シリーズなどに勝ち、また海外でも活躍。1963年(昭和38年)のマスターズでは、当時の東洋人として最高順位の15位に入る活躍も見せました。マスターズにはこの年から6年連続の出場を果たしています。こうした活躍が、その後の台湾選手による日本での活躍の先駆けとなったことは、言うまでもありません。

陳氏(昭和6年10月1日生まれの72歳)の主な戦歴

日本オープン('59)
関東オープン('62)
関東プロ('64)
日本シリーズ('64)
読売国際オープン('68)など13勝

    関連記事