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三菱ダイヤモンドカップゴルフ 2008

優勝賞金2200万円を手にしたマークセンは…

ボランティアのみなさんに祝福を受けて…
身長163センチと小柄で童顔だから、若く見えるがもう42歳。日本ツアーのシードは8年目。ベテランと呼んでもいい年齢に差し掛かったマークセンのもとには、相談を持ちかける母国の若手選手が絶えない。

異国の地で転戦を続ける難しさ。ゴルフのこと以上に深刻な言葉や食事の問題。
そんな若手の声にも親身になって、耳を傾ける彼の姿がある。

攻撃ゴルフが身上だがひとたびコースを離れると、思いやりに満ちた素顔を見せる。
たとえば、本当は自分はスタートの1時間半前にはコースに着いておきたいが、同乗する若手選手が「僕は50分前がいい」と、言ったとする。
マークセンは、満面の笑顔で答える。
「じゃあ、そうしよう」。
ひと回り以上も後輩のワガママも、笑顔で許してやる心の広さは、幼いころから苦労を重ねてきたからこそかもしれない。

1966年に、バンコク・タイのホアヒン市で、9人兄弟の5番目として生まれた。
父は、自転車の後ろに荷台をつけて客を運ぶいわゆる人力タクシー(サムロー)で生計を立てていたが、暮らしぶりは苦しかった。
「ドラッグや犯罪がはびこる町」で、父の仕事を手伝いながら過ごしていたころに、心をわしづかみにされたのがゴルフだ。
自宅近くの「ロイヤル・ホアヒン・ゴルフクラブ」でプレーに興じる日本人観光客の姿に釘付けになった。ラウンドについて歩き、たまにクラブを借りて打たせてもらううちに、のめり込んだ。

「プロゴルファーになれば、この貧しい生活から脱出できる。人間的にも成長できる」と確信したが、クラブを買うお金はなかった。
そこいらの木を拾い集めてお手製のウッドを作り、ゴルフのまねごとを始めたのが14歳のとき。
それからキャディでこつこつとお小遣いを貯めて、まさに腕1本でいちから築き上げたゴルフ人生だ。

あのときの少年がいま、日本で栄冠を掴んだ。

いつも礼儀正しく、世話になった人への感謝の気持ちを忘れない。
日本語はうまくないがその分、相手をホっとさせる柔らかな笑顔に、関係者からの人気も高い。
優勝インタビューで、最後に切り出した。
「今回の優勝賞金のうち、いくらかをミャンマーと中国に寄付するつもりです」。心優しき男は、いまも甚大な自然災害の被害に苦しむ人たちを、ほってはおけなかった。
「ふれあい、感動、そしてチャリティ」の大会テーマにふさわしいチャンピオンの誕生だった。
  • マークセンは優勝賞金2200万円の一部を先の自然災害の被害者に寄付することを決めた
  • 左から時計回りに長女のニーラパックさんと妻のパパーポンさん、マークセンと、キャディの上安洲さん、長男ピアパットくんと次男のピヤブットくんと喜びを分かち合う