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永野竜太郎がビギナーズセミナーに参加(8月10日)
昨日は千葉でVIPを接待していたと思ったら、もう今日は朝から兵庫県にいて、ジュニアを熱血指導だ。前日の9日・日曜日には、プロが各トーナメントの主催者をもてなす「サンクフル主催者ゴルフ懇親会」で、エリートグリップの軽部央・代表取締役とチームを組んで6位と奮闘した永野。
その足で新幹線に飛び乗って、翌10日月曜日には朝から兵庫県のよみうりカントリークラブで中学・高校生を相手に講師をつとめた。最初のデモンストレーションで、「今日は昨日よりも調子が良い」と言ってニンマリと、ジュニアに好調のショットが披露できたことっも満足だ。
この日、永野が参加した「2015年ビギナーズセミナー」は今年から、JGTOが連携を取る「日本高校ゴルフ連盟(高ゴ連)」の主催。それに伴い、今年3年目を迎えたオフのJGTO主催の宮崎合宿ではナショナルチームの高校生12人を招待し、さらに5月にはトップレベルの中学生に特化した「ゴルフ教育合宿」も開催した。
1月から2月にかけて行われた宮崎合宿では、プロゴルファーに混じって汗を流した高校生たちが、6月の「トヨタジュニアゴルフワールドカップ」で顕著な活躍を見せるなど確かな成果も現れているが、一方で近年は、子どもたちがせっかく幼少期からゴルフを始めても、中、高校への進学時にゴルフ部に入部しない例も多くあり、ジュニア人口は減少傾向にあるともいわれており、底辺の拡大は今だ遅々として進んでいないのが現状だ。
ゴルフの本当の面白さを知らず、醍醐味も得られないままに、ゴルフから離れていく子どもたち。出来るだけ多くの子どもたちにその真の魅力を伝え、人口流出を食い止めることが急務であり、そのためにもさらに一歩進めてゴルフを始めたばかりのジュニアたちを、継続して指導していく体制作りも必要と開催された。
いわば今回は、初心者のためのセミナーであり、主旨を知った永野は「自分がその初回に呼ばれたことは、大変光栄」と、指導にも大いに熱が入った。
「いやあ・・・僕なんか! めったにレッスンする機会がないので、教え方が全然分からない」と本人は謙遜したが、どうして。2、3球打たせただけで、その子のクセや弱点を瞬時に見抜き、長所はそのままに、数カ所に改善を加えただけで、たちまち快打を連発していく子どもたち。
わかり良い表現を使った指導術は懇切丁寧であり、この日は地元関西地区の10校から中学生12人と、高校生の17人の計29人が参加したが、JGTO理事でツアー通算16勝の鈴木規夫と手分けをしても、1人の指導時間が2人とも非常に長くて、9時の開始から予定の2時間を過ぎてもまだ、時間が足りなかったほど。
猛暑の渾身レッスンは、永野が自分の姿をそこに重ねているから。「ゴルフの道に誘ってくれた祖父。本当に感謝している」。小4のある日、忽然と熊本県の自宅の敷地に現れた70ヤードの打撃場も、祖父のお手製。「おまえのために作ってやった」と、最初こそ仕方なしに始めたゴルフも、大人に混じってみるみる上達するうちに、完全にハマッた。それからわずか3年後の中1でクラチャンに。高校2年の日本アマでは2位つけ、またその頃からツアーは高校生にも広く門戸を開くようになり、フジサンケイクラシックではマンデートーナメントの出場権をもらって「ダメ元」で挑戦。まさかの本戦通過を果たしてツアー初出場も果たした。
「僕らは恵まれていた。それまではテレビでしか見ることがなかったプロゴルファーとの距離も縮まり、早いうちから多くのチャンスを与えてもらった」。
その上に、今年4年連続のシード権がある。
それだけに、母校ゴルフ部の今季限りの廃部は胸が痛い。夏の全国高校ゴルフ選手権で最多6度の優勝を誇る茨城の名門・水城高校ゴルフ部は、来年3月に石井貢・監督が高齢を理由に退くことを決め、そのあとの後継者が見つからずに苦渋の決断を下されたのだ。やむにやまれぬ事情を思えば「それも仕方ない。でも、自分を育ててくれた環境がなくなってしまうのは、やっぱり悲しい」と、割り切れない思いも。後進を育ててくれる場所がまた一つ減ってしまうことも、今のジュニアを取り巻く現状を象徴するようで、永野にはなおさら心苦しい。
自分の活動や、活躍を通じて少しでも、その穴埋めの一助になればいい。それが、家族や恩師への恩返しでもある。
「みんなで切磋琢磨して、一生懸命に練習を積んで、全国大会を目指してください」と、この日のジュニアたちにエールを送った永野。「では君の今の夢は何だ?」と、ジュニアたちの前で逆質問してきたのはこの日、共に講師をつとめた鈴木だ。
「今年中に、ツアーで初優勝することです」。
「どの試合に勝ちたいんや」と、さらに突っ込まれて今度は一瞬、答えに窮した。
「日本オープンか? シリーズか。 漠然と勝ちたい、じゃダメなんだ。いつ、どの試合に自分は勝ちたいんだと、目標は常に明確にしておかなければ」。ジュニアたちの前で、鈴木にそう諭されて、大きくうなずいた永野。この日、披露した自慢の豪打と同じくらい、レジェンドから共に学ぶ27歳の姿には、いっそうジュニアの共感が得られたはずだ。
その足で新幹線に飛び乗って、翌10日月曜日には朝から兵庫県のよみうりカントリークラブで中学・高校生を相手に講師をつとめた。最初のデモンストレーションで、「今日は昨日よりも調子が良い」と言ってニンマリと、ジュニアに好調のショットが披露できたことっも満足だ。
この日、永野が参加した「2015年ビギナーズセミナー」は今年から、JGTOが連携を取る「日本高校ゴルフ連盟(高ゴ連)」の主催。それに伴い、今年3年目を迎えたオフのJGTO主催の宮崎合宿ではナショナルチームの高校生12人を招待し、さらに5月にはトップレベルの中学生に特化した「ゴルフ教育合宿」も開催した。
1月から2月にかけて行われた宮崎合宿では、プロゴルファーに混じって汗を流した高校生たちが、6月の「トヨタジュニアゴルフワールドカップ」で顕著な活躍を見せるなど確かな成果も現れているが、一方で近年は、子どもたちがせっかく幼少期からゴルフを始めても、中、高校への進学時にゴルフ部に入部しない例も多くあり、ジュニア人口は減少傾向にあるともいわれており、底辺の拡大は今だ遅々として進んでいないのが現状だ。
ゴルフの本当の面白さを知らず、醍醐味も得られないままに、ゴルフから離れていく子どもたち。出来るだけ多くの子どもたちにその真の魅力を伝え、人口流出を食い止めることが急務であり、そのためにもさらに一歩進めてゴルフを始めたばかりのジュニアたちを、継続して指導していく体制作りも必要と開催された。
いわば今回は、初心者のためのセミナーであり、主旨を知った永野は「自分がその初回に呼ばれたことは、大変光栄」と、指導にも大いに熱が入った。
「いやあ・・・僕なんか! めったにレッスンする機会がないので、教え方が全然分からない」と本人は謙遜したが、どうして。2、3球打たせただけで、その子のクセや弱点を瞬時に見抜き、長所はそのままに、数カ所に改善を加えただけで、たちまち快打を連発していく子どもたち。
わかり良い表現を使った指導術は懇切丁寧であり、この日は地元関西地区の10校から中学生12人と、高校生の17人の計29人が参加したが、JGTO理事でツアー通算16勝の鈴木規夫と手分けをしても、1人の指導時間が2人とも非常に長くて、9時の開始から予定の2時間を過ぎてもまだ、時間が足りなかったほど。
猛暑の渾身レッスンは、永野が自分の姿をそこに重ねているから。「ゴルフの道に誘ってくれた祖父。本当に感謝している」。小4のある日、忽然と熊本県の自宅の敷地に現れた70ヤードの打撃場も、祖父のお手製。「おまえのために作ってやった」と、最初こそ仕方なしに始めたゴルフも、大人に混じってみるみる上達するうちに、完全にハマッた。それからわずか3年後の中1でクラチャンに。高校2年の日本アマでは2位つけ、またその頃からツアーは高校生にも広く門戸を開くようになり、フジサンケイクラシックではマンデートーナメントの出場権をもらって「ダメ元」で挑戦。まさかの本戦通過を果たしてツアー初出場も果たした。
「僕らは恵まれていた。それまではテレビでしか見ることがなかったプロゴルファーとの距離も縮まり、早いうちから多くのチャンスを与えてもらった」。
その上に、今年4年連続のシード権がある。
それだけに、母校ゴルフ部の今季限りの廃部は胸が痛い。夏の全国高校ゴルフ選手権で最多6度の優勝を誇る茨城の名門・水城高校ゴルフ部は、来年3月に石井貢・監督が高齢を理由に退くことを決め、そのあとの後継者が見つからずに苦渋の決断を下されたのだ。やむにやまれぬ事情を思えば「それも仕方ない。でも、自分を育ててくれた環境がなくなってしまうのは、やっぱり悲しい」と、割り切れない思いも。後進を育ててくれる場所がまた一つ減ってしまうことも、今のジュニアを取り巻く現状を象徴するようで、永野にはなおさら心苦しい。
自分の活動や、活躍を通じて少しでも、その穴埋めの一助になればいい。それが、家族や恩師への恩返しでもある。
「みんなで切磋琢磨して、一生懸命に練習を積んで、全国大会を目指してください」と、この日のジュニアたちにエールを送った永野。「では君の今の夢は何だ?」と、ジュニアたちの前で逆質問してきたのはこの日、共に講師をつとめた鈴木だ。
「今年中に、ツアーで初優勝することです」。
「どの試合に勝ちたいんや」と、さらに突っ込まれて今度は一瞬、答えに窮した。
「日本オープンか? シリーズか。 漠然と勝ちたい、じゃダメなんだ。いつ、どの試合に自分は勝ちたいんだと、目標は常に明確にしておかなければ」。ジュニアたちの前で、鈴木にそう諭されて、大きくうなずいた永野。この日、披露した自慢の豪打と同じくらい、レジェンドから共に学ぶ27歳の姿には、いっそうジュニアの共感が得られたはずだ。