2人の県勢もこの日を待ちに待っていた。震度7の激震が、愛する故郷を2度も襲ったときから永野も、重永も願い続けてきた。「トッププロのみなさんも、僕らと一緒に地元の子どもたちを励ましに来てもらえれば」。
歴代の選手会長が若い2人の気持ちに真っ先に応えた。「僕らが行くのは当たり前でしょう」とは宮本勝昌。「熊本の子たちのために、僕らも少しでも出来ることをしたい」。新選手会長の宮里優作は、「僕も嬉しかったのは、僕らと一緒に青木さんも熊本に来てくださったこと」。
東北の大震災の際にも発生の10日後に、現地に入ったというレジェンドが、県勢2人を含む4人のシード選手に加わった。今年、JGTOの新会長に就任した青木功。「テレビで見ているだけじゃダメ。私たちも実際に行って、初めて感じられることがある」と、同・副会長の松井功をも引き連れて、8月21日に現地に入った。
特に午前中に、子どもたちとスナッグゴルフで遊んだ菊陽町(きくようまち)の会場は、炎天下の町民グラウンド。うだる暑さの中でも、この10日後にも74歳になるというのに、誰よりも元気溌剌だった。
現在、奥様の和歌子さんの実家がある同町に、住まいを構える重永は、なおさら恐縮しきりで「精神的にもダメージを受けている地元の子らにとっては何よりの贈りもの。僕らの熊本に来てくださって、本当に感謝します!!」。
幸い、重永の家族に被害はなかった。町内もさほど深刻な被害は出なかったが、後藤三雄・町長によると、震災以降は予定されていたスポーツイベントなど、子どもたちが毎年、楽しみにしている町のお祭りが、ことごとく中止となった。
震災後に休校が続いた遅れを取り戻すために、今年は夏休みが前後3週間も短縮されて、翌22日には早二学期を迎える子どもたちにとってはこの日、JGTOが主催した「ゴルフで熊本を元気に!スナッグゴルフ体験会」が、何よりのこの夏最後の思い出となった。
その喜びは、体験会の最後に重永とガチンコ勝負を繰り広げた菊陽西小3年生の太田黒輝空(おおたぐろそら)くんのお礼の言葉にも凝縮された。
「僕らのために、わざわざ熊本まで会いに来て下さって、本当にありがとうございました!」。丁寧に、頭を下げられればさっきまで、背中に滝のように流れていた大汗も、6人のプロゴルファーには吹き飛ぶ思い。
そして午後から、永野の地元の益城町に入ると、6人とも心がふさがる思い。震源地に入ると風景が一変した。活断層に添うようにして倒壊した家屋の跡に、みな無言で見入った。午後から、益城町立飯野小学校の体育館で行われたスナッグゴルフ体験会ではいっそう力が入った。優作の指導ぶりはいっそう熱を帯び、日頃からサービス精神旺盛の宮本のリアクションはますます軽妙になり、率先してマイクを握る松井のトークは、ますます冴え渡った。
震災直後は1万人以上の方々が、住む家を追われたという。避難所に指定されていた町内の小・中3校は、先月18日にようやく明け渡されたが、近くの総合体育館には今なお500人を越える方々が、不便な暮らしを強いられている。1300戸の仮設住宅が完成したそうだが、まだ1000戸以上も足りないという。
永野の津森小時代の校長先生だった森永好誠・益城町教育長も、自宅が全壊したが震災後すぐにも心的不安を訴える子どもたちのために、各校にスクールカウンセラーを配置するなど、心のケアに奔走された。
「でも、最近やっと落ち着きを取り戻して。今日はあんなにも嬉しそうな笑顔で。プロゴルファーのみなさんとゴルフをするなんて、一生に一度あるかないか。貴重な機会を与えて下さったみなさまには本当に感謝しています」(森永教育長)。
「今日はまさか、青木さんにまで来ていただけるなんて。夢のようです」と胸を押さえた永野の母・益美さんも、息子を含めて自ら被災しながら、今回のプロゴルファーによる熊本来訪に奔走された一人である。
倒壊した益城町の実家は、献身的なボランティアの方々の力さえ借りられない。解体を待つばかりの家屋はしかし、業者の数さえ追いつかずに、この先2年は手がつけられそうにもない。
益美さんにも頭が痛いことばかりだが、この日は息子が子どもたちとの最後のスナッグゴルフ対決で、偶然にも母校6年の松本侑政(ゆうせい)くんと当たって、「後輩に負けられん!」などと、大人げもなく真剣勝負を繰り広げて盛り上げる姿に癒やされた。
永野の祖父で、益美さんのお父さんの孝之さんが経営する牧場もつぶれてしまったが、200頭超いた牛はうち2頭の犠牲だけで、誰にも怪我はなかった。
午後から益城町の体験会には、重永の妻の和歌子さんと、幼い2人の愛娘に加えて、お父さんの雅己さんも駆けつけ、これを機会に青木にも家族を紹介することが出来た。
今年の開幕戦の初日に大地震の一報が入ったときには、とにかく家族が無事でいてくれと、祈る思いばかりだった県勢2人。その3週後にやっといったん帰れたものの、崩れ落ちた熊本城。崩落した阿蘇大橋。変わり果てた故郷に言葉を失い、「熊本が大好きなので。ショックで、涙が出そうになったくらい」(重永)と、今も感傷的になることもあるが、最愛の家族と共に、今こうして地元の人たちに囲まれてひとときを過ごせる。そんな当たり前のことがどれほど幸せなことか。「地元の子たちが今日、すごい良い笑顔だったので。それが何よりでした」と永野も重永も改めて、噛みしめた。
同い年で、切磋琢磨してきた幼なじみの県勢2人だ。「僕とアトム。“1+1=2”どころか、3にも4にもなる。一緒に頑張れば、倍以上の力が出る」と永野。これからも、2人力を合わせて熊本に、元気と勇気を送り続ける。
「来年もまた来てね」と、この日も子どもたちに、口々に言われた。「これ1回きりではなく次は、遼くんにも来てもらったり・・・。地元に元気を届け続けたい」とは重永だ。それももちろんそうだが地元の人たちには県勢2人の初V報告が、何より元気の薬となるのは言うまでもない。