笠間市は、6月に茨城県の宍戸ヒルズカントリークラブで行われるJGTOの主催競技「日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ Shishido Hills」の地元である。開催週の土曜日には毎年、付帯イベントの「スナッグゴルフ大会」が行われ、いわば子どもたちの“聖地”でもある。
まして昨年は、大会史上最年少&初のアマVという快挙をなしとげた同市出身の畑岡奈紗さんや、男子では昨年のファイナルQT1位の星野陸也らを輩出したことで、ますますゴルフ熱が高まるこの笠間に、また新たな息吹が芽生えた。
この4月に開校したばかりの小中一貫校「笠間市立みなみ学園義務教育学校」に、ゴルフ部が新設されることになったのだ。
ついては、ダンロップスポーツ株式会社より練習用ボール250個と昨年、バッバ・ワトソンと小平智が一般社団法人日本高等学校ゴルフ連盟に贈ったスナッグゴルフのコーチングセットと、「BAGS FOR BIRDIES」と称する世界的なジュニア育成活動を推し進める米国大手貨物運送会社の「UPSユナイテッド・パーセル・サービス社」から、2セットのジュニアゴルフ用具のご提供があり、その寄贈式をかねた激励会が、5月2日に行われると聞いて、これは自分もお祝いに駆けつけなければいけないと、はせ参じたのが中嶋だった。
畑岡さんの育ての親といってもいい。スナッグゴルフから、ゴルフに移行する子どもたちの受け皿として、2012年に宍戸にジュニアスクールの「トミーアカデミー」を起ち上げた。畑岡さんは、その1期生であった。
今回、ゴルフ部には5人が入部を決めているそうで、この地から、また“第二の奈紗”が生まれるかもしれないと思うと、いてもたってもいられずやってきたのだ。
大歓迎を受けて、子どもたちの前でお話をすることになった。畑岡さんと、星野からのビデオメッセージが披露されたあとで、中嶋もおもむろにマイクを握った。
62歳がいま最も心を痛めているのはいじめを苦にして自ら命を絶つ子のことだ。ニュースを聞くたびに、中嶋は哀しくなる。そのたびに「いじめない子を育てるのはもちろん、いじめられても負けない子に育てることも大事」と、中嶋は思う。
どうすれば、伝わるか。「大人みたいに変化球は通じないんだ」と、中嶋。「だから、子どもに話すのは難しい」と中嶋は自分が一番、苦しかった頃の思い出話をすることにした。
父・巌さんのあまりの厳しさに「死にたい」と本気で思った中学時代。しかし、それでもなお巌さんは、優しい言葉などかけてくれなかった。
むしろ、弱音を吐く息子に「情けない」と無情に言い放った。そんな父親の真意を知ったのは、巌さんが亡くなって、だいぶ経ってからである。
73年に、当時最年少の18歳で日本アマを制すと、75年のプロ入り直後に初優勝。
「そのとき、うちの母親にあてた手紙にオヤジが書いてたそうです。“新人ながらあっぱれ”と。僕には一度も褒めてくれなかったけど、甘やかしたら息子はダメになる、と。褒めて優しい言葉をかければ強くなれない、と。あいつの人生にはこれからもっと辛いことがいっぱいあるのだから。俺からのプレッシャーなど大したことではない、と。オヤジはあえて鬼コーチを演じていた。僕は、オヤジが死んでから、初めて親の愛を知りました」。
その後、ツアー通算48勝。世界ランクは最高4位。「俺も、松山くらいに凄かった」と、おどけて笑わせた。アマとレギュラー、シニアを合わせて日本タイトル7冠。青木、ジャンボと並んでAONと称される。今なお語り継がれる無類の強さの源でもある。
死にたいと、思うくらいに辛い目にあったとき、子どもたちにも思い出して欲しいと中嶋は思う。
「人は、強くなければ優しくなれない。大人の入り口にいる君たちへ。いじめなんかに負けるな、と。人に優しくできるほど、強い人であれと伝えたい」。
予定時間を大幅に過ぎた熱弁のあとも、体育館から校庭の片隅に完成したばかりの練習場に場所を移して、バンカーショットや曲打ちを披露したりして、西の空に陽が傾くまで子どもたちと遊んだ。
「この子たちが大きくなったときに今日、俺が言った二言…一言でもいい、思い出してくれれば」と、切に願った。