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中嶋常幸が“7冠達成記念祝賀謝恩会”を開催(1月19日更新)

昨年10月。ゴルフ界にまたひとつ、偉業が成し遂げられた。日本プロシニアで中嶋常幸が「日本」と名のつく7つ目のタイトルを手に入れた。

史上初“7冠”達成までの道のりは、険しかった。
首位でスタートした最終日はひとつもバーディが取れないまま、1ボギーの73で髙橋勝成に追いつかれた。
ゲームはプレーオフに突入し、その2ホール目にバーディで退けた。

「すごく、苦しい戦いだった。その末に揃った7つ目だったからこそ、終わってから何かいっそう厳粛な思いがした」。

勝つことの重み。そして、喜び。「あの大会のおかげでもういちど、思い出すことができた。心に、確かに蘇ってくるものがあった」。

それこそが、そのあと11月の日本シニアオープンと同じ月のレギュラーツアー『三井住友VISA太平洋マスターズ』での優勝につながったことは、言うまでもない。

「若いころは、自分の力だけで勝てたと思っていた。傲慢だった」。
しかし、50歳を超えてもなお、第一線で活躍しているいまはこう思う。

「みなさんの支えなしには、とてもここまで来ることはできなかった、と」。

そんなありったけの感謝の気持ちをこめて、自ら“プロデュース”したのが1月19日(金)に都内の赤坂プリンスホテルで開催した「七冠達成記念祝賀謝恩会」だった。

いまは亡き父・巌氏のてほどきを受けて、はじめてクラブを握った10歳のときからこれまでの活躍を支えてくださった方々約320人を招待した。

来賓を代表して祝辞を述べられた元内閣総理大臣・森喜朗氏ほか、豪華な顔ぶれの中には王貞治さんの姿もあった。

昨年3月のワールドベースボールクラッシックで、日本を世界一に導いた立役者。

「でもあのときは、すでにガンに蝕まれておられて・・・。それでも王さんは、微塵も感じさせずに指揮を取られた。普段は2人とも、直接なにか改まった言葉を掛け合うのは苦手だけれど。スポーツ界に生きる者として、互いにその生き様に影響を受けあうことが確かにある。それが、確かにプレーに生かされる」。

そして、中嶋にとってそんな存在はもちろん、王さんだけではない。
この日会場に集まってくださったのは、中嶋のゴルフ人生に何かしらのインスピレーションを与えてくださった方々ばかりだ。
この場に招待できなかったのは残念だったが、たとえどん底の時期でも変わらぬ声援を送り続けてくださった大勢のファンのみなさんもいる。

この恩をさまざまな形に変えて、少しずつ返していくことがこれからの生きがいでもある。
「この先、自分がゴルフをやめることなど想像つかない。ゴルフの楽しさを、感動を、伝えていきたい。そのためにも、いつまでも魅力のあるプロゴルファー“中嶋常幸”であり続けたい」。
大勢の恩人の前で、思いを新たにした。

<中嶋常幸の“日本タイトル”>
72年・全日本パブリック
73年・日本アマ
77年・日本プロ
82年・日本シリーズ
83年・日本プロマッチ、日本プロ
84年・日本プロ
85年・日本オープン
86年・日本プロマッチ、日本オープン
90年・日本オープン
91年・日本オープン
92年・日本プロマッチ
93年・日本シリーズ
05年・日本シニアオープン
06年・日本プロシニア、日本シニアオープン
※そのほか合計ツアー48勝

写真上=謝恩会の直前に行われた記者会見で、東京運動記者クラブゴルフ分科会より「2006年度・特別賞」のトロフィーを贈られて喜ぶ中嶋「賞をいただけるのは、いくつになっても嬉しいものです!」

  • 中嶋に祝辞を贈ってくださった森・元内閣総理大臣、右端は“内助の功”律子夫人

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