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倉本昌弘がゴルフ伝道師に

先月26日に、選手会長・宮本勝昌からスタートしたジャパンゴルフツアー選手会メンバーによる“ゴルフ伝道の旅”。
プロゴルファーがゴルフの素晴らしさと、夢を持つことの尊さを、各地の子供たちに語って歩くというこの取り組み。

前日の谷原秀人に次ぐその“第3弾”は、18日(水)。このたび広島県の広島市立本川小学校を訪れたのは、同校の東隣に位置する同市立・袋町小学校の卒業生、倉本昌弘だ。

ツアー通算29勝は、永久シード権を持つ7選手のうちの一人でもある。
2003年には世界タイ記録となる59ストロークをマークした。
アマチュア時代にプロのトーナメントで優勝した石川遼がいま人気だが、倉本はその27年も前に、その快挙を達成していた。
当時、25歳のアマチュアながら、プロの試合(80年中四国オープン)で最初に勝ったのが、この人だ。

ツアー界に数々の金字塔を打ち立てながら、53歳を迎えた今もゴルフへの情熱を燃やし続ける。
そして、輝かしいゴルフ人生の陰に見え隠れする、数奇な運命もまた見逃すことはできない。

しかし、そんな素振りはみじんも見せず、気さくな笑顔で教壇に進み出た。
受け持ちの先生が、黒板にあらかじめ貼っておいてくださった人生年表の札に沿い、白いチョークを走らせる。

日本料理の板前だった父の勧めで柔道と剣道に励んだ。その一方で、ゴルフにのめりこんでいった「小・中学時代」。
全日本ジュニアで連覇を果たした「高校時代」。
全日本学生で4連覇を果たした「日大時代」。

息子が跡を継いでくれるものと信じていた父を、自ら身を切る思いで振り切って、ようやく果たした「プロ転向」。
その直後にツアー4試合を含む6勝をあげ、賞金ランクはいきなり2位に。
華々しいデビューはあの石川遼にも匹敵する、……いや、当時はそれ以上のインパクトがあったのだ。
82年の全英オープンでは日本人最高の4位に。

そして、アメリカのシニアツアーと日本ツアーを股にかけて戦う「現在」。
倉本は、その左隣に「2000年」と書き足した。
続いて「肺炎」「心臓」と書き、「本当なら、今日、みんなとここで会えなかったかもしれないんだ」と切り出すと、教室はシン……と静まりかえった。

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