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日本ゴルフツアー選手権 Citibank Cup Shishido Hills 2010

宮本勝昌のツアー通算8勝目は“チーム芹澤”が輝いた日でもあった

最終ラウンドのスタート前に、「18番で待ってるよ」と宮本に約束していた藤田(左)は弟弟子のプレーにドキドキ。ずっと双眼鏡を手放さなかった。右は練習仲間の上井邦浩
今年のツアープレーヤーNO.1決定戦でツアー通算8勝目をあげて、これで勝ち星の半分は、“日本”と名のつくタイトルになった。国内メジャー4勝は1973年のツアー制度施行後に16勝の尾崎将司と13勝の青木功、12勝の中嶋常幸と、7勝の尾崎直道と片山晋呉に次ぐ記録。

「メジャーで強い? ・・・何ででしょうねえ。自分でも分からない」と、首をかしげた。
「でも、野球のオールスター戦で、ホームランを3つ打つ、みたいな? そういう何かを、僕は持っているんでしょう」と、わざとおどけて誇らしげに胸を反らした。

2008年の開幕戦「東建ホームメイトカップ」から2年間、見放された勝ち星。その前年に、新星は誕生した。当時、15歳の石川遼が史上最年少Vを達成した。それを契機に一気に注目を集めた日本ツアーのレベルは格段に上がったと、宮本は感じている。

「今までのような練習ではとても追いつけない」と痛感したものの、ちょうどその翌年から2期連続の選手会長に就任。
本人は否定するが、オフはゴルフ以外の業務に追われたことも、一因になったかもしれない。
それだけに、深堀圭一郎にその重責を譲った今季は一段と、練習場に向かうようになった。

兄弟子の藤田寛之の存在も励みだった。
「もともと凄く練習する人だけど。今年は今まで以上にトレーニングを増やしたり。藤田さんがやるのなら、俺もやらなくちゃという気にさせられた」。
そしていざ2010年が開幕したら、その藤田の大活躍。
「今の藤田さんは、ちょっとレベルが違う」と、他人事のように見ていた時期もある。

以前は理解もできた兄弟子の悩み。
「でも今は、ときどき藤田さんが何を悩んでいるのかすら、レベルが高すぎて分からないことがある」と宮本は打ち明けたことがあって、「だから、藤田さんは藤田さんの人生を頑張ってもらえれば」と、冗談交じりに諦観していた時期もある。

でもこの週は、2週前のオープンウィークに、師匠の芹澤信雄から伝授されたアドバイスがハマって絶好調。「藤田さんに追いつき、いつか追い越したい」と、強気な言葉も飛び出していた。
初日から、首位を走り続けて大量リードを築いた最終ラウンドも、スタート前の練習場では「普通にやれば、絶対に勝てる」と確信が持てるくらい、調子が良かったのだ。

しかし一転、後半の失速に「その自分とあの自分が同じ人間なんて。こんなに変わるんだから。ゴルフって本当に奧が深い」と、苦笑した。
「最後はもう、足がもつれて横を向いて走っているような・・・。あんなになるとは、自分でも思ってない」。

翌週から再びツアーは2週間のオープンウィークだ。翌月曜日も早くから、芹澤にラウンドレッスンの“予約済み”だがお叱りは、覚悟している。「あんなゴルフをしてしまって・・・。教えた意味が、ねえじゃないかと芹澤さんには言われるでしょうね」と、後半のドタバタ劇を、申し訳なさそうに振り返る。
「でも、あれこそが、プレッシャーがかかるってことなんだ、と」。
まるで、初優勝したみたいな口ぶりで、当時の心境を振り返った。

それほどの重圧を乗り越えて、屈指の難コースを制したことは、この上ない喜びだ。
まして、開催コースの地元・茨城県は「僕の原点」。
水戸の水城高校で、石井貢・監督に指導を受けた3年間があって、今の自分がある。
ゆかりの土地でのV8は、「今までのどの優勝よりも、嬉しいかもしれない」と37歳はどこまでも初々しかった。

もっとも、テレビ中継が始まるなりメロメロのゴルフは「親父も家で、心臓が出ちゃったんじゃないですか」と、済まなそうに気遣った。
“現場”で弟弟子を見守った藤田も不安顔で、「17番のダボのあとは、大丈夫かなと思ってドキドキしていた」と、いよいよ宮本がやってきた18番は、アテスト場の高台にのぼって双眼鏡を覗き続けた。

18番のグリーンサイドで優勝を見届けて、「初めてのワン・ツーフィニッシュ、嬉しいですね」と自身はこの日、ボギーなしの68をマークして単独2位に、二重の喜び。
「宮本と僕は永遠のライバルだし、勝っても負けても嬉しかったり、悔しかったり。タイプが違うから、刺激になります」。

今季のツアープレーヤーNO.1決定戦で、チーム・芹澤が輝いた。
今回の優勝で、8月の世界ゴルフ選手権「ブリヂストン インビテーショナル」と、さらに11月にはやはり世界ゴルフ選手権の「HSBCチャンピオンズ」で、初めてメジャー級のイベントに出場権を得た宮本にも発奮して、「僕も一緒に行けるよう、世界ランクを上げたい」と、藤田はますますやる気になった。

そして宮本は今回の優勝で、ますます気持を引き締めた。
手にした5年シードの“特典”は、「ただこの先、5年間試合に出させていただけるというだけで、生活が保障されたわけじゃないんです」と、厳しい現実を見据えている。

「大事なことは、試合でお金を稼いでいくこと。それが僕らの仕事です。この優勝で奢ることなく、明日からまたトレーニングや練習をひたむきに続けていきたい」と、いつもは冗談ばかりの選手が真摯に言った。

※宮本のメジャー優勝
1998年 ゴルフ日本シリーズJTカップ
2001年 日本ゴルフツアー選手権イーヤマカップ、ゴルフ日本シリーズJTカップ
2010年 日本ゴルフツアー選手権 シティバンク カップ 宍戸ヒルズ

※国内メジャーとは現在は、日本プロ、日本オープン、日本ゴルフツアー選手権、ゴルフ日本シリーズJTカップ、日本マッチプレー(現在は未開催)の、5大会を指します。

  • 出迎えた18番グリーンで、宮本を祝福した藤田。「宮本は永遠のライバル。勝っても負けても嬉しいし、悔しいし・・・」。励まし合い競い合う無二の親友だ。
  • JGTO特別顧問の青木功から受けた世界ゴルフ選手権の出場権の目録 「ブリヂストン招待は契約先がスポンサー。出場することが、日頃の恩返しにもなります」と宮本
  • 表彰式のあとのボランティアパーティでシャンパンファイト!

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