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東建ホームメイトカップ 2011
星野英正がホールインワンを達成、4位に
さあ、次の選手のショットを待って・・・と、思った瞬間に沸き起こった歓声。
「傾斜を転がって入ったみたいで。しばらく間があったから、喜ぶ余裕もなかった」。
おいしい1打で通算7アンダーは、単独4位に浮上。
今季はクラブを一新し、心機一転。クリーブランド社は、メーカーから「ぜひ看板プロに」と請われ、二つ返事で引き受けた。
また昨年12月には、高2から苦しめられてきたという花粉症の完治を目指し、大がかりな手術に踏み切った。主治医に「ありえないくらい、ひどい数値」と言われていたアレルギー症状は、依然として目の腫れなどが残るが、それでも例年に比べたら雲泥の差がある。
「集中出来て、楽にプレーが出来ている」と、さっそくこの開幕戦からその効果を実感している。
この「東建ホームメイトカップ」は東日本大震災の復興支援を大きな柱に開催に踏み切ったが、星野自身も被災者だ。
折しも、ご両親が引っ越したばかりの宮城県利府町の実家が大きな被害を受けた。
片山晋呉との宮崎合宿のラウンド中に震災を知った星野は、すぐに両親に電話をかけたら、母の喜美江さんがひどく取り乱していた。
家具などが、まだガタガタ揺れている激しい音が電話の向こうで聞こえ、喜美江さんが何度もあげた悲鳴が今も耳の奧から離れない。
その後も大きな余震が続いており、そのたびに電話口の喜美江さんの半泣きの声が、息子としてはたまらない思いがする。先週のマスターズは東北福祉大の後輩の松山英樹が活躍したが、「見ていない。正直、マスターズという気持ちにもなれなかった」と、晴れ舞台も見逃した。
震災直後に、ご両親を兵庫県西宮市の自宅に一時避難させていた。昨年6月に入籍、今年2月に挙式を挙げたばかりの妻・百恵さんの献身的な支えもあって、少し落ち着きを取り戻したものの、「二度と母親の悲鳴は聞きたくない」。
再び仙台に帰っていったご両親の安否を気遣う毎日だ。
本来なら、プレーにも集中できる状況ではない。
しかし、みんなが力を合わせて支え合い、なんとか前を向こうとしているときに、一人立ち止まっているわけにはいかない。
この日も、ミスショットしたときには、必ずこう思い返した。
「やるからにはここで諦めたらいけない、と。諦めないで、少しでも貢献出来るようにやらなくちゃいけない」。
週末の優勝争いも父母を始め、被災地でいまも極度の不安と闘う人たちのため。
「仙台もようやく電気が通り、テレビも見れる状況にあると思う。僕のプレーで少しでも、力になれたら」。懸命に心を奮い立たせる。