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2004 アジア・ジャパン沖縄オープン 2005

宮里聖志「先に勝つのは弟だと思っていた」初の栄冠を手に入れてなお謙遜する兄

初優勝が転がりこんできたあとも、聖志にはしばらくこの状況が信じられなかった。先に勝つのは、弟・優作だと思っていた。

自分の数倍も練習熱心な弟。
球を打たない間も、体のストレッチ、トレーニングに打ち込む弟の努力こそ、先に報われるべきだったのではないか…。

今年も2年連続でシード復帰できず、今月8日の予選会ファイナルQTで16位に入って、どうにか来季の出場権を確保できたばかりの自分が、主催者推薦で出たこの大会で、初優勝をあげてしまった。
これで、日本とアジア両ツアーの2007年までのシード権も手に入れたのだ。

「ツキがあった、と言うしかない。聖志には相当、胃が痛くなるような思いをさせられてきたけれど。いつの間にか、おいしいところにいる。あいつは確かに、昔からそういうラッキーなところがありました」(父・優さん)。

しかし、その一方で優さんは、「ゴルフの感性は兄弟一」と認めていた。
「器用でのみ込みが早くて。こちらが言うことをすばやく吸収できるだけに、すぐに“自分はできる”と思って満足してしまうんですね」(優さん)。

「両親のすねをかじりすぎて、スネがなくなってしまった」と、聖志本人も苦笑する学生時代。
ゴルフの名門・近畿大学に入学したものの、「遊びがたたって」留年決定。
怒り心頭の優さんに沖縄に連れ戻されて、2年間の期限付きでプロを目指して厳しい特訓を受けた。
練習をサボりがちの聖志には、父の容赦ない鉄拳が飛んできた。
「でも父の監視がないと、僕はダメみたいなんです(笑)」(聖志)。

厳しいけれど、いつも、息子の長所を最大限に生かした的確なアドバイスで導いてくれた父。

叱られたあと、そっとフォローを入れてくれたのはきまって母・豊子さんだった。
「…怒られる理由は、分かっているんでしょう?」。
そんなのんびりした物言いに、いつも救われた。

そして人一倍努力家の弟と、出来の良い妹。
「兄弟の活躍が“俺も負けられない”という気にさせてくれた。うちは家族それぞれに役割があって。誰が欠けても、ダメなんです」。

シード権復活をかけ、今年、春から始めたトレーニングで15キロのダイエットにも成功した。
弱点だったパッティングも、「手のひらの中心で、グリップを握れ」という父の教えを最近、ようやくモノにできたばかりだった。
最終日のスタート前、「もっとコンパクトに振れ」という優さんのアドバイスがこの日ハマった。
沖縄の強い海風もものともせず、ショットを次々とピンに絡めた。
チャンスパットをねじこんだ。

ベストスコア64をたたきだし、8打差からの大逆転。
初の頂点に立ってなお、「僕はまだまだ、練習不足なんです」と謙遜する人の良い長兄だが、ここ地元・沖縄で、最愛の家族の前で、その時期は十分に熟していたのだ。

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