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ジーン・サラゼン ジュンクラシック 1999
「ぼくは”病気”でした…」首位の堺谷和将
連続予選落ちの原因は、自ら「1カ月は完全に病気だった」というドライバー。「ほとんど真横に飛び出すショットが突然出るんです。後援競技の兵庫県オープンのときは、予選は通過したんですが、2日目にそれが出て、1ホールで12も叩いてしまい、同伴競技者に迷惑をかけるので棄権したほどでした」
この原因不明のミスショットに悩まされるようになったのは、「その前から兆候はあったのですが、新潟ぐらいからでした」とほぼ8月の1カ月間は治療の糸口さえわからなかった。
サントリーオープンの練習ラウンドでも「途中で帰ろうか」と思ったが、牧野裕に「200ヤードぐらい打つつもりで軽く振っても、絶対、250ヤードは飛ぶから、そんな感じでやってみなよ」とアドバイスされ、突然、「完治」。もっともそのサントリーオープンでは、ショットは戻ってきたものの「つまらないミス」で予選通過ならず。
次の全日空オープンで2日目に66のベストスコアをマークして、ようやく真の「完治」を確認。ホッと胸をなでおろしたという。
「ショットがよくなったこともありますが、今日はパターもよかった。先週の最終日はショットが良かったのにスコアにならなかったので、気分転換にと、今週からパターを換えてみたんです。
メーカーの人が持ってきてくれた12本の中から一番構えやすいのを選びました。とってもすわりがいいタイプなんです」
堺谷が初日にトップに立つのは、今季、4月のデサントクラシック、6月のJCBクラシック仙台以来これで3度目。「初日だけです」と照れる堺谷和将だが、3度目の正直に期待したい。