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2004 アジア・ジャパン沖縄オープン 2005

宮里聖志「家族みんなが幸せになるために、僕が頑張らないといけなかった」(アジア・ジャパン沖縄オープン最終日②)

2005年ツアーにカウントされるアジア・ジャパン沖縄オープンで、8打差をひっくり返してツアー初優勝をあげた宮里聖志。
2000年にデビューを果たし、その翌年に2年連続で初シード入りを果たしたものの、そのあと、シード落ち。今年も復活に失敗し、ファイナルQTに出場していた。

同ランク16位でどうにか来年の出場権を確保していたものの弟・優作、妹・藍さんにくらべ「宮里家の悩みの種」であることに違いはなかった。

近畿大学時代の練習は「週2」がせいぜい。ゴルフより、他の遊びにかまけて留年するなど「学生時代はずっと親のすねかじり」だった長男は、自覚していた。

「家族みんなが幸せになるために、僕が頑張らないといけなかった」。

優作の努力を認め、藍ちゃんの優勝を心から喜ぶ。誰よりも家族思いの長男がつかんだ初の栄光に、みんなが泣き、笑った。

父・優さん
「感無量です。やっとここまで来られましたね。
今回の優勝は運でしょう。ロングアイアンで高い球が打てる点がプロ向きだとは思っていましたが、なにしろ聖志は練習しない症候群で、どんなに言っても明日になったら忘れている。

以前よりは練習するようになりましたが、まだまだ。してほしい量の4割にも満たない。
1日1000球打て、といってもせいぜい300球。やりだすとじっくりと腰を落ち着ける子で、感性も兄弟一。今回も、最終日のスタート前に、(ショットで)右手を早めにたためと指導したのが良かったのですが、そうやって教えたことをすぐにのみこんで吸収力が早い分、すぐに“自分はできる”と思って満足してしまう。
親には、相当胃が痛い存在です(苦笑)。

それでも、彼の良いところは人懐っこくやわらかい雰囲気を持っている点。
家族の良いカンフル剤で、兄弟を包んでいる。
弟の優作も彼のようにもっと状況を楽しめるようになるといいのですが…。
優作の練習量は、聖志の倍どころではないし、人のスイングを見ながらも時間を惜しんでストレッチしているような子です。
そのうち、聖志のように運を呼び込めればいいと思っています。
それにしても、ほんとうに今回はラッキーでした。
あいつには、そういう運の強いところがあって。周囲が設定してくれた舞台にポン、と乗ることができる。今回も地元選手として推薦出場をいただき、そこでこうして3年ものシード権を手に入れてしまった。
すごいことなのですが、逆にそれが心配でもあります。
また、安心して練習しなくなるのではないか、と…(笑)」(談話より)

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