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つるやオープンゴルフトーナメント 2005
平塚哲二「今年も、出られる試合はどこへでも!」
「よほどのことがない限り、試合に出てファンにプレーを見せるのがプロ」という考えの持ち主は、先週のVISAダイナスティカップで、それが単なる絵空事でないことを証明した。
大会直前の13日に、最愛の父・央さんを亡くした。葬儀は、ちょうど初日と日程が重なるにもかかわらず、その日のうちに会場の中国へとやってきた平塚は、こともなげにこう言ったものだ。
「日本の代表として選ばれたんですよ。出場するのが、当然じゃないですか」。
そしてそれはまた、央さんの生前からの願いでもあったのだ。
キャプテン・青木は、「悲しみを乗り越えて、来てくれたことが嬉しい」と、会場入りした平塚の肩を抱いた。
メンバーたちは央さんの死を悼み、黒いリボンをつけてプレーした。
平塚は疲れからか、2日目に38度の熱を出しながら懸命にチームのために戦った。
「死ぬ直前までオヤジの看病してたんでほとんど練習できていなかったんです。それなのにみんな、僕を暖かく受け入れてくれて。全員がひとつになって、必死になって戦った。その中に僕もいられて、ほんとうに光栄でした」(平塚)。
中国から帰国した足で、いったん京都の実家に戻って父の霊前に手を合わせたあと、また慌しく、つるやオープンの会場・山の原ゴルフクラブに入る。
「今年も、出られる試合は全部、出て行きますよ」。
“アイアンマン”は、平然と言いきった。