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カシオワールドオープンゴルフトーナメント 2011

悲しみを乗り越えて・・・増田伸洋

大会前日は水曜日のパッティンググリーン。久保谷健一が、驚き顔でやってきた。「おい、ノブ! こんなところにいて大丈夫なのかよ!!」。

午前中もクラブハウスで一度、顔を合わせていた。
「でも、あのときも笑顔で“おはよう”って言ってくれたから・・・」。
久保谷も全然、知らなかった。
増田が最愛の父・一仁さんを亡くしたのは先週の19日。
享年66歳。スキルス性の胃がんだった。
「持って2年」との宣告を受けたのは今年の開幕目前だった。

覚悟は出来ていたとはいえ、それにしても急だった。
先週のダンロップフェニックスは、出発前の月曜日に病院に立ち寄り「行って来い」と、笑顔で送り出してくれた一仁さん。

その直後に肺炎を併発して、あっという間だったという。

プレーに支障が出るからとの周囲の気遣いから、増田がようやく対面出来たのは、先週の日曜日だった。
通夜は25日の金曜日、葬儀は26日の土曜日だ。そばにいて「最後まで見送りたい」という増田を、「行ってこい」と送り出してくれたのは、喪主で兄の秀仁さん。
「オヤジもそれを望んでいるから」と、秀仁さんは言った。
現在、賞金ランク31位の増田は、現状ではこのカシオワールドオープンが今季自身の最終戦。

今週終了時にランク25位内(国内のみ)に入れば、次週のツアー最終戦「ゴルフ日本シリーズJTカップ」の出場権が得られる。
「それもあって、アニキも、親戚一同も俺を送りだしてくれたのだと思う」。
後ろ髪引かれる思いを断ち切って、家族と、何より亡き父の期待を一身に背負ってやってきた。

小5で母・八千代さんを早くに亡くしてからも、ゴルフ練習場を切り盛りしながら、男手ひとつで2人の兄弟を立派に育てあげてくれた一仁さん。

高校時代はラグビー部のフルバックで活躍していたときも、プロゴルファーになる、と決めたときも、「オヤジは本当に、何にも言わなかった。いつでも俺の好きにさせてくれたんです」。そんな父だったからこそ、今がある、とつくづくと増田は思っている。

2006年にツアー初優勝を挙げたときも、「お父さんも、凄く喜んでいたよ」とは、やっと周囲から聞いたほどだ。

ガンの告知を受けてから、4月に地区競技の千葉オープンで優勝を飾り、優勝カップを病室に届けたが、「本当はもっと大きいのが欲しいと思っていたはずなんです」。口にはけっして出さなかったが、息子のツアー通算2勝目を、望んでいなかったはずはない。
「今からでも良いニュースを届けられたらいいんですけどね」と、微笑んだ。

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