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カシオワールドオープン 2002

「いつだって勝つために戦っているよ」

いったんは、ビジネスの道を進んだマット・クーチャー(米)、日本ツアー初参戦

この日水曜日のプロアマ戦で、初めて、いぶすきゴルフクラブを経験したクーチャーは、「フロリダから来た僕には、この寒さは、ちょっと予想外…。それに各ホールの傾斜もきつくて、今日は足が棒みたいになりました」と、苦笑まじりに話したが、
「それでも、今回の来日はとっても楽しみにしていましたから。昨日は露天風呂を経験し、景色の美しさにも見とれてしまいましたよ」
初めての日本を、堪能しているようすだ。

97年、全米アマ優勝の資格で、翌年のマスターズトーナメントに出場。21位に入り、6月の全米オープンでも14位、メジャーで2試合連続のロー・アマチュアを獲得して、一躍注目を浴びた。
同年の全米アマ連覇は、セルヒオ・ガルシアに阻まれたものの、その年の全米学生最優秀選手賞(フレッド・ハスキンス・アワード)を受賞し、プロ転向が待たれたが、そのままジョージア工科大学にとどまって、卒業。
同年2000年にはファイナンス系の会社に就職し、いったんは別の道を進んだクーチャーだ。「就職はとてもよい条件で、断る理由もなかった。大学でビジネスを専攻していたから、それが役立つと思いましたし、就職後もゴルフはやらせてもらえましたからね」

だが結局、その8ヵ月後にクーチャーは、再びゴルフの世界に戻ってきた。
きっかけは、ビジネスマンとして出場したテキサス・オープン。
あっけなく予選落ちしたことが、火をつけた。
「やはり、自分の実力をみんなに分かってもらいたくなったんです」

11月のオーストラリアン・オープンで、プロデビューを果たす(31位タイ)と、翌年からUSPGAツアーに本格参戦。
直後に3試合連続の予選落ちをしたものの、エア・カナダ選手権では3位タイ。雪辱戦のテキサス・オープンでは2位タイに入り、わずかUSPGAツアー参戦8試合目にして翌年のツアー・メンバー・カードを事実上、手にした。

今季は、3月のホンダクラシックでツアー初優勝もあげて、賞金ランキングは49位につけている。
先週のツアー外競技のフランクリン・テンプルトン・シュートアウトでは2位タイに入り、絶好調のまま、指宿入り。
「今週の目標? そうだね、いつだって勝つために戦っているよ」
24歳は、190センチ90キロの長身に乗った小さな顔を、ほころばせた。

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