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宮里聖志が語ったのは妹の挫折体験

午前中のスナッグ講習会で「ストレス解消になった」と話した齋藤くん(左)は給食の時間にプロにおかわりをふるまって・・・
宮里家の長男は、やっぱりここでも考えた。午後からは、宮城県の女川第二小学校で、「夢を持とう」の講演会。「子供たちに、本当にためになる話は何か」。津波で家族を失った児童がいる、と聞いて一瞬、躊躇した。「ここで自分の家族の話をするのはどうなのか」。

しかし、04年にはツアー初優勝のスピーチでも、元来はあっけらかんと明るい性格が、涙なしでは両親への感謝の気持ちを語れなかったほど。これまで35年の人生で、家族との関わりを語らないとなると「僕には話すことが何もなくなる」。

しかも、むしろ子供たちに語って聞かせたいのは家族のこと。とりわけ目に入れても痛くないほどに、可愛いがっている妹のことだった。

三兄妹の中でも一番、両親の悩みの種と言われた長男だ。「壁にぶち当たっても夢さえあれば、乗り越えられる」と、そこは本人も信じて疑わないが、「それにしたって僕の挫折体験なんか、大学に行ったものの、遊びすぎで成績も出せず、進路に迷って・・・・・・なんて、つまらないことばかりで」。

それならば妹の藍さんの話をしたほうが、絶対に子供たちのためになる。「藍ちゃんのほうが有名だし、子供たちにも興味を持って聞いてもらえる」。自分の生い立ちはさておき、藍さんの話により多くの時間を割いたのも、その確信があったから。

ジュニア時代から注目を集め、まだアマチュアだった2003年にプロのツアーで優勝すると、同年には現役高校生プロとして華々しくデビューを果たした藍さんは、そのあとわずか2年あまりで11勝(現在国内通算14勝)をあげて、意気揚々とアメリカに乗り込んだ。

「挫折というものをまるで知らなかった。その彼女が初めて壁にぶち当たったのが、それから3年後のことでした」。
藍さんは自分(聖志)と、次兄の優作の前で泣きながら打ち明けたという。
「怖くて、人前でドライバーが振れなくなった、と。選手生命にも関わることです」。
ゴルフをやめたいと涙ながらに訴える藍さんに、聖志も、優作も、「そんなに苦しいのなら、やめてもいいよ」と、言った。

「でも、藍ちゃんにはそれ以上に大きな夢があったんです。アメリカのメジャーの4大大会で優勝するという夢です。そのために、彼女は有名なメンタルトレーナーについて、心を鍛えなおした。苦しい中でも諦めず、夢を叶えるのに自分にはいま何が一番必要かを、一生懸命に考えたんですね」。

その後の藍さんの復活劇は、言わずもがなである。
「夢を持って突き進むことが唯一、挫折を乗り越える方法でもある」と、宮里も改めて実感したエピソードでもある。

「技術論ではどうにもならなかった彼女が、心の持ち方ひとつで大きく変わった。心を鍛えるのはとても難しいですが、夢を持つことで壁を打ち破ることも出来る。みんなにも壁にぶつかったときに、そのことを思い出してもらえたら」。

クリクリとした、その大きな瞳を子供たちからけっしてそらさず、身振り手振りで心をこめて話した。

被災地の子供たちの心のケアが、いま急務である。保護者の方々が抱く先の見えない将来への不安は子供たちの心にも、少なからず影を落としているといわれ、梶谷美智子・校長先生も感じておられるように、あの日からちょうど1年が過ぎて、「いま、改めて心の不安定を訴える子が出て来ている」。

宮里も、「もう1日あったらみんなともっと仲良くなれたのに」と、たった半日ほどの訪問ではそんな子供たちの不安にも、寄り添えきれるはずがないという厳しい現実を、突きつけられたのが悔しいが「それでもみんなが僕の話を一生懸命に聞いてくれたのが本当に嬉しかった」と、そのことがせめてもの救いだ。

ジャパンゴルフツアーはシーズン開幕まであと1ヶ月あまり。今日、出会った子供たちは、4月になっても自分のことを覚えていてくれるだろうか。出来るならばこれからは、テレビを通じても、被災地にエールを送り続けたい。
今回のゴルフ伝導の旅は、最後に石巻にも立ち寄って、地元のラジオ放送に生出演。「藍ちゃんに負けないよう僕も一生懸命頑張ります。今年は僕のことも応援してくださいね」と、アピールして帰ることも忘れなかった。
  • 講演会では自分のことよりも、むしろ藍さんの経験を詳しく話した。「それのほうが、みんなのためになると思って・・・」
  • 子供たちから校歌のプレゼントに、壁に貼られた歌詞を追いながらじっと聞き入る
  • 生徒を代表してお礼の挨拶をしてくれた6年1組の鈴木健矢くん(中央)。
  • みんなと握手を交わしながら、「もう1日あったらもっと仲良くなれた」と別れを惜しむ宮里。

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